2013年04月20日

めまい図書 物理の講義[新課程]

実況中継的に話し言葉でポイントを講義式に解説してくれる独学参考書や独学問題集が増え、日本語の学参界はたいへん便利で初学者に親切でやさしい世界になった。紙面のつくりだけでなく、CD音声付きのもの、映像付きのものと聴覚面でも視覚面でも工夫が見られる。

一方で、ひと昔前、昭和の頃の参考書は包括的網羅的で詳細かつ体系的なものが多かった。それに、なにより分厚かった。

たとえば高校物理では現在『物理教室』や『新・物理入門』は方向性の差こそあれ辞書的にも利用できる詳しく体系的な参考書である。

これらとたとえば、昭和の2冊『親切な物理』、『前田の物理』とを比較的に並べてみると、古さを通り越した古典のもつ圧倒的な存在感にめまいを覚える。

高校の頃、『親切な物理』も『前田の物理』もいつも机の上の本棚の正面にあった。当時はそれが物理だった。ヴォクの物理生活のはじめの1冊は『物理の講義[新課程]』だった。ヴォクはこの書物に出会って物理をやろうか他の教科に本腰を入れようか迷っていたのを覚えている。
その次に出会った参考書で命運が決まった。それがこの2冊「親切」と「前田」だった。あまりの詳しさに打ちのめされた。

今は、本棚に物理の本が増え物理という言葉が喚起する参考書の印象は変わったはずだが、「親切」と「前田」を開くと、今でもやはりめまいに襲われる。

そのまま再び読み返してしばらくするうち、ああ高校の物理に戻ってこられたという落ち着きを取り戻すことができる。

似たような感覚は英語での『英文解釈教室』を開くときにも起きるし、数学での黒い表紙の『大学への数学』を開いても生じる。

それらは物理の、英語の、数学の体系的な何かを形作っていて、原風景のように思考回路に枠組みをつくってしまっている。

新しい入試問題に接して、破壊して創造するということを毎日やっているようでいて、同時に原風景を後から辿っているだけのようでもある。

これらのめまい図書は、精神衛生上のことを考えて本棚では奥の見えない列に保管するようにしている。手前に新しいものを置いて背表紙が見えないように留意し並べる。

それを目にすると圧倒され開かずにはいられない気分になってしまうから。

何十周と読み返しても落ち着きの得られない深い森の中にまたヴォクを閉じ込めてしまうだろうから。

めまい図書を開くのは休みの日だけがいい。

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