2012年07月25日

えのもと監督(1)

えのもと監督はテニスの試合ができなかった。ご高齢で足が動かないこともあったがそもそもテニスの初心者だった。

ぼくらが九州大会や国の大会に出るくらいになると監督はひとりだけ人を連れてきた。

うまくなった数人だけが、えのもと監督が連れてきたそのコーチを相手に乱打をすることができた。乱打は文字通り乱打であってネットにもかけずコートからも出さずに40本、50本と連続でとにかく全力でまっすぐに打ち合った。

力と力の勝負だった。年齢も立場もない。打ち負かしたほうが勝ち。
カーブもスローカーブもない。(テニスではロブといった。)

ストレートを全力で打って相手が力負けしたら乱打が終わる。
何本打ち合うのか数えてはいなかったがときに5分くらいエラーなく継続して打ち合った。コーチは数人と合わせて1、2時間くらい打ち合ったら、監督とちょっと話をしてすぐに帰った。そういうことが月に2、3回くらいはあっただろうか。監督はどういう意図とタイミングで彼を呼んでいたのだろう。

えのもと監督はいつものようにコート脇の日陰のベンチにひとり腰掛けタバコをプカプカさせてただその乱打を見ていた。
彼がコーチに練習を手伝わせたのはその乱打のときだけで、球出しなどの基礎的な練習のほとんどは自らのラケットで球を出してくれた。
えのもと監督の球出しは、落合博満のノックのようなコース際どく狙われたものでなくどっちに飛んでくるかもよくわからない無回転や逆回転の悪球だったのでぼくらは必死に追いかけた。

いま思えばボールの軌道をイレギュラーにするためわざとああいうへんてこなカットボールを出していたに違いない。
当時は監督はボール出しが下手だなーと思っていたが最近やっと気がつくようになった。

夢に監督がよく出てくる。
練習のあとに暗がりの中で話してくれたいろんな説教話が夢の中でははっきりと聴こえてくる。

「やるならやれ。やらんならやるな。俺は半端はひとっちゃ好かん。」

3日に1回、300回くらいは聴いた監督のこの言葉。帰り道に部員同志でも監督のものまねをして言い合ったのでもう何回聞いたか数えきれない。

よくもまあ同じことをこう何回も何回も話せるもんだと思っていたが、でもそれだけ言われるとさすがに米を主食にしてるくらい当たり前になった。
常勝チームの暗黙の合言葉だった。
「練習を一番やってる。だから優勝したんだ。わかっか? 次も優勝したいか? じゃあどうすっか?」

ヴォクの足は夢の中でも疲れと監督の顔を見る緊張から直立してガクガクだ。
安いという理由だけで長くつかってたマイラケットの3倍の値はしたであろう監督のラケットは説教中にケツバットを部員にして、折れることがあった。
そんなときぼくらは「ああ、監督は本気で怒ってるんだな」とシンとなった。
それはつばを飲むくらいの最高級のラケットで、誰かが怒られラケットが折れてしまうと他の部員たちまで全員反省した。
怒られるのも悲しいが、なによりラケットがかわいそうだったから。
ぼくたちはみなラケットを愛していたんだ。

夢を見る。
ときおり金縛りとなり苦しくなって目が覚める。
あー、こわい夢だったー。

でもまた監督の話が聴けた。
posted by ヒカリ at 06:01| コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月22日

ノートの取り方を見れば(1)

ヴォク、久し振りにほめられて。

基本的に失敗ばかりしていて普段ほめられるということがない。
でもきょうはうれしかったなー。
学期に一回ご連絡をいただく卒塾生の保護者さまからいつものように高校での成績を教えていただいた。このタイミングでは一部の在塾生よりも結果を知るのが早い。すぐに教えていただけるのほどうれしいことはない。(いいかわるいかは正直なところあまり気にしていない。一緒に練習していれば実力や受けというのはお互いよくわかっているので結果はある程度想像がつくものだ。ここで「お互い」というのは指導者の力量も子どもにはすぐにわかるものだという意味で。)


聞けば独学でとても好成績を残したとのことだった。
1学期総合でクラス1位をとったとお便りには書かれていた。(クラス順位しか出さない高校が比較的多い。)
他にも平均評定数値などいろいろ書かれていたのだけれど、気になったのがノートのくだりだった。
「テスト前になると、○○のノートを友達が奪い合うそうです(笑)」

奪い合うって!
笑えない。
まったく笑えない。
そういうノートをとっているのか。
さらに深化してるな。

この子は中学の頃からノートが細かくてよかった。授業中の先生の発言をたくさんメモっていた。
そう、あれはこの子が中2シリウス数学発展編を使っていたときのことだ。
テキストのせまい余白にすべての答案を書き込んでいた。
書き込み専用のテキストではなかったのだけれど米粒のような小さくて、でも読みやすいまっすぐの字が並んでた。いつも開くたびその整然さに感動するノートだった。
あのノートのことをすぐに思い出した。
すごくうれしかった。


お便りには次のようなお世辞までついていた。

「○○の勉強に関しては私もびっくりしてるんです。でも○○はよく言います。
「ヒカリ塾で鍛えられた」と顔1(うれしいカオ)
いろいろな意味で成長させていただけたと思っています。」

ああ、なんというありがたい言葉だろう。
何かを鍛えたようなつもりはなくたんに運動部のキャプテンもしていたこの子には塾にくることになる最初からもう根性がたくさんあった。

塾にきた頃はヴォクが一問ヒントを出す度に「はい。ありがとうございました。」と大きな声で返事をされ、御礼は帰るときにまとめて一回でいいからと何回か伝えた。家庭教育で御礼をちゃんと伝えるようにとそう育ったのだろう。

ヴォクはただ週20時間分くらいの宿題を中学の3年間毎週一緒に決め、欠かさず組み立て、わずかばかりの添削をしただけだった。この子は宿題(約束)をただの一度も忘れなかったしその上復習を自分なりに勝手に繰り返して気の済むまでやっていた。後半は週課題の設定と目標もこの子が自ら立てるようになっていた。

受験を迎える最後の年の夏休みはご家族がみな仕事で家にひとりでいることが多かったと後になって聞いたがその夏休みに10以上偏差値をアップさせることをこの子はしていた。部活が終わって根性を勉強にぶつけたらどうなるのかくらいわかっていたつもりだったが夏明け以降の模試結果には毎回のように驚かされた。夏の大うなぎやー。


その根性があれば入試だけでなくいろんな道でも力を発揮できるだろう。

途中の困難の乗り越え方もいつか機会があったらインタビューしてみようと思う。
わからないことがあってもあきらめないのだろうな、練習量が多いのだろうということまでは想像できる。この子はまずもってあきらめない。
では高校の授業でわからないことはどう調べどう自学自習しているのだろう。
色んなことが考えられるが、何にもわからない。

Tさま、ありがとうございました。






posted by ヒカリ at 01:07| すごいノート、記憶術、暗記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月18日

一番厚い夏(もう一回)

不思議なことがあったの。
それはね。

子どもの本に蛍光ペンがひかれてたの。だけど引いた記憶もなければペンに見覚えがないんだって。そこはまだ本人は解いていないページだったの。
新品で購入した本なのになんで?


どこにって?(効き耳を1カメに向けて貝のような形をした手をあて相手の質問を聴くポーズで)

それが、子どもの問題集の問題番号の上に。
薄いうすい黄色の蛍光ペンが引かれてたの。
何箇所もいっぱーいだよ。

いっぱーーーいっ(最初のイにアクセントを落としていっぱーいの得意のポーズで)。

この子が引いてたんじゃないのに勝手に蛍光ペンがついてて、こわってひいたみたい。
そもそもそのペンは普段使わないんだって
筆箱の中に蛍光ペンすら入れてないんだって。

あれじゃね?
夢の中で勉強してできたのに印をつけたとか。努力家だねー(^-^)
(いえ、夢の中では勉強してません。)

じゃー、あれだ。
兄弟姉妹がチェックしたとか?
(ないですねー。)

んじゃー。もしかしてお母さんに貸した?
貸したでしょう?
(いえ、開きもしません!)

くー、気になるー。
いったい誰じゃーーー。
誰がジャー(間寛平兄さんキャラで)。

ヴォクがつけた?
逆に?
(いや、せんせーもオレンジのペンしか使いませんよね?)

そ、そうだ。
もしかしてさー。
あのさー。

まぁ、よろしい。
(そう、世の中には不思議なことが多いんですよ。)

はい。わかりました。

(師弟逆転したまま退出)

夏の厚いノート大作戦を今年も伝授しよう。
それは問題の解法を問題用紙をながめながらブツブツとセルフティーチングするという丸飲み復習法の森勉であってA4のノートがもうねすごいことになっちゃ・・・

もういっかいもういっかい。
もういっかいもういっかい。
その名は「もう一回ノート」。
4年前にも書いたけど、それをはじめよう。


この記事の写真は塾生が撮って送ってくれた。
http://selflearning.seesaa.net/article/124482520.html
虹がいいし影の形がいい。
この子は今年入試前の最後の夏を迎える。
予習復習を終わらせると言ってた。
この子ならそれをやってのけるだろう。



posted by ヒカリ at 03:21| ぶどう糖・にんじん・マヌカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月15日

独自ルート(2)(こらぼ)

http://lionlife.hakumon.info/?eid=937746
lionさんの独自ルートにふたたび触発されて。

自学自習自体は難しいことではない。
それは目標と根性だけの問題だから。
ただしいくつかのハードルがあることも同時に否定できない。
自学自習もして実際にゴールにも届くかの点が問題となる。

自学者が困ることがある。
1つに何を使って練習したらよいのかがわからない。
良問というのはたしかに存在するのだが何が良問なのかがわからず途方にくれる。
まさか1年間の日本の全学校の入試問題をぜんぶ解いたり、あるいは1校を過去に遡って50年分全問題を解いたりすることは時間的にできないしそうする必要もない。
では何をしたらいいのだろう。
せっかくやるならいい練習がしたいと思うのは人の常である。
そういうわけで人は考えている。
「ピカピカ光る数珠の良問はどこにあるのだろうか」と。


2つ目にどれくらいのペースで進めてみたらいいのかペースメーカーのないことに困る。
しっかりやっているつもりが気がついたら亀の鈍足だったということではまるで成果にならない。
まさか図書館で、自分の世界にこもってシャカリキ自習している隣の席に座った人に尋ねるわけにはいくまい。
かくして人は考えている。
「その良問を1日何題解けばいいのだろうか」と。


2つの質問にヴォクがこたえよう。
まず問題は解けば解くほど問題を見る目が肥えてくる。
なんじゃーこの問題は、って言えるようになるしくぅーこの問題いいなーって思うようになってくる。
だから目の前の問題にくらいついて解けばそれでよし。

次に一日何題解けばいいの?
って、それはどんな質問なんだい?
わたしはどこに行けばいいの?
わたしは何になればいいの?
と同じでなにかがおかしい。
一日中解けばいいし、気がすむまで解けばいい。
逆に一日何題かなんて決まってたら汽車と同じで線路の上しか走れなくなるぞ。


何題でもいいの。
それは趣味の問題なの。
成果が出したいんだったら起きてる間中ずっとやれ。



posted by ヒカリ at 13:59| この名もなき詩を いつまでも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(lionさんの) 自分の頭で考える

http://lionlife.hakumon.info/?eid=936685

定期的な試験が終わり、自分を振り返る時期に。
posted by ヒカリ at 07:39| この名もなき詩を いつまでも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

数学の良問プラチカ

今日の子。
理系プラチカと文系プラチカが全問残らず1周完了した。
「1日1題」ペースを守り切った彼の勝利。
夏休みに2周目。
秋に3周目ができると話してた。闘う50題を手渡した。
このペースでこられたのはひとえに根性のなせるわざ。ズルを一度もしなかった。3回原則制を敷いているのでズルを続ける子はもとより1人もいないが何年もの間1度も約束を守らなかったことがないのはとくによかった。

ところでこのプラチカ(鳥山昌純先生)、受験数学では当たり前、暗黙の了解となっているところの参考技(教科書範囲外の公式や定理などちょっと便利な解法)を一切使っていない、すごい書物。

あー、外積もねぇ!

正射影もねぇ!

合同式も包絡線もね!

おらこんなのもー、やじゃない。

ぜんぜんいやじゃない。

教科書に載っている公式だけで入試のやや難問題をさばいてゆく。
この問題集が評価を得ている理由は問題がたんにドドド定番の良質問題のみをセレクトしているからというだけでない。
問題数が絞られ中期で森勉できるからだけではない。
解法がまっすぐなのだ。
落差の大きいうっとりするようなカーブがない。
全球ストレートのみ。
それがこの問題集をまっすぐで気持ちのよいものにしている。
そんなまっすぐな定石ばかりだから、どうにかして身につけたい。
うまくなりたい。
練習して使いこなせるようになりたい。
そう思わせるようなまっすぐを放ってる。



posted by ヒカリ at 00:12| 伝説の参考書、独学図書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする