2008年03月30日

たいせつにするもの(終)

(3)で勝ち負けとは書いたが、他人を癒したり、隣人を愛したりする教育〜愛の共育〜なくして、勝ったり負けたりするのをよいとぼくは思わない。他人を蹴落とすのは本末転倒。

勉強を愛する人は、まわりにプリントをもらっていない子がいたら貸し与える。平等に戦おうという精神がある。

テニスの大会。シードであろうとなかろうと、1回戦、2回戦と突破し、最終的に強者の中の強者だけが決勝戦に進む。連日にわたる試合につぐ試合の最後の一戦。夜七時。あたりはすでにくらくなり決勝のコートがライトアップされる。そこに立てた強者たちを負けたファンたちもうっとり観戦する。なんと無駄のない合理的なフォームか。それでいてなんと個性的なフォームか(うっとりとためいきをつきながら)。真似したくなるほどのフォーム。ビデオにとっている観客もいる。OBも後輩の成長に頷きながら応援している。
最後に決勝戦にまですすむような強者は相手に勝ちたいという意欲や意思もさることながら、なによりテニス愛に満ちている。強い者ほど他人のフォームを研究するし、他人の戦い方に敬意をはらい研究している。だからめっぽう強い。テニスを知っている。その完ぺきなまでの強さが他人を引きつける。ファンの黄色い歓声もあがる。イチローは他のバッターや対戦するピッチャーに勝つほどにヒットを打ちたいという意志ももちろん強いのだろうが、それよりも野球をだれよりも愛しているように思える。それが個性になっている。オンリーワンの存在。

試験の採点ミスがときにある。96点なのに採点ミスで98点がついている。そこで潔ぎよく減点の申し出をするような子が一学期にいたが、その子はその後の期間のテストで100を連発した。フェアプレーの精神がある。試験というスポーツを愛している。

勉強は好きなだけ自分からしてよいものだ。本来強制されなくとも学びたいというのは人間の本能だ。赤ん坊の頃から学びははじまっている。

そんなわけで、ぼくは勉強愛をたいせつにしている。勉強を強制しない。喰わず嫌いはたしかに困るがだからといって「やりなさい」とは言わない。かわりに後ろにたって右手に右手を添えて、鉛筆を動かしてみたり一緒に本文を読んでみたりする。おもしろさを伝えたい。「すべては愛でしょ」をこのブログ、せるふ・すたでぃ・ねっと☆の副題にしたのにもそんな些細なこだわりがある。たんにねこにゃ〜☆さんをパクってるだけじゃないの。


シリーズ「たいせつにするもの」はこの辺で終わりにしよう。

東京大学の入試問題。

受験生のヒカリっ子に昨日聞かれた。

「東大の入試ってどんな問題がでるんですかぁ」と。
ぼくは想像力とか、構造力とか言わずに、問題を見せた。


見せた問題↓

あなたが今までに下した大きな決断について、60〜70語の英文で説明せよ。
ただし
(1)その時点でどのような選択肢があったか
(2)そこで実際にどのような選択をしたか
(3)そこで違う選択をしていたら、その後の人生がどのように変わっていたと思われるか
という三つの内容を盛り込むこと。
適宜創作をほどこしてもかまわない。

(東京大学 前期 2006年度より)

だからオモロイでしょ?って言ったらその子は、はい、オモロイですね、と言っていた。

ほなね、教材作成に戻ります、すた、すた、・・・スタエンこと、新・数学スタンダード演習は4月に増刊です。SABに載せました。

たいせつにするもの(3)

塾を開いたときに、うちの授業は月に一万と決めた。本気なら誰でも通いやすい価格帯にしたかった。週に1回の通塾で家庭学習の全部を引き受ける。週に1万かかる代わりに小1でも高3でもどこを受験するのでも勉強の仕方をみていく。そう考えた。プリントやテストの都合で少し授業料は変わったが理念は変わらない。意味不明の維持費をとらないのでコストパフォーマンスもエリアナンバーワンだと考えている。うちは学年一位が多いとか、成績を上げるだけじゃない。ぼくは違うものを追う。根性。姿勢。努力。


子供には楽天の田中が打者に向かうときのように勉強にかみついてほしい、強気で勉強してほしい、引退が決まった桑田が野球を愛したように勉強を愛してほしい、と考えている。勉強のやる気は出たり出なかったりするものじゃない、ひざをつねりながらでも、眠くてもやる気は出すものだ。誰のために勉強するのか?とといかける。だから自分のために勉強したい子をみつけたい。待ちたい。関わりたい。

ぼくがたいせつにするものは勉強への取り組み方だ。
勉強したら、しないときと比べて具体的にどういう「いいこと」があるのかを示す必要がある。勉強したら人の役に立つ仕事につきやすくなる。勉強したら職人にならなくても収入のよい仕事につきやすくなる。勉強したらはやい話が、人にも自分にもおいしいステーキを出すことができるようになるというのは実際問題ある。いい車に乗れる。家が買える。人助けができる。はたをらくにすることができる。

チャンスがあるときにつかめるかつかめないかが、学生時代に本気で勉強したかどうかに左右される現実がある。だから、それを伝える。テニス部員なら大会に出て勝ちたいと思うよね?相手のために負けたい?

勉強も同じ。やっぱり勝ち負けの要素だってある。みんながみんな恵まれていて趣味だけで勉強してるわけじゃないんだから。喰うならやらねばって側面は絶対にある。みかみさんがタイに行かれたのもぼくにはわかる(気がする)。貧しい国に必要なものは食糧もそうだが教育だ。

そんなわけで、勝つための勉強姿勢をぼくはたいせつにしている。
たいせつにするもの(4)へ続く。

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たいせつにするもの(2)

私立中か公立中かよく聞かれる。選べるならすきな方にいけばよいと思う。学力の問題より私立はお金がかかる。公立じゃないからただじゃない。
私立に行くなら学校を利用し尽くす覚悟で。学校を自分のために利用する覚悟で。私立の教員も必死だ。学習環境はよい。それを利用し尽くす希望があるのなら私立がよいだろう。夢の実現のために近道だと確信するのならばとめるべき理由はない。

公立中・高から医学部や東大への進学が遠回りになるわけではいささかもない。

私立から医学部や東大に有利になる現実はある。それは覚悟をしている子が進んで集まっているからというのもある。そうして学校のレベルが保たれているのが私学だ。学校も教員も子供も努力する人だけが集まる構造になっていると言える。

私立でも公立でも進学したからには本気でがんばればそれが一番だ。私立に行くか公立に行くかそれがたいせつなわけではない。行った学校の授業にくらいつき、子供自身が本気で勉強するか、それがたいせつなのだ。

たいせつにするもの(3)へ続く。

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2008年03月29日

たいせつにするもの(1)

学校でもらう教科書から公立高校の入試は出題される。だからどんな独学図書よりも教科書を読めばよい。
ネットが利用できる環境にあるなら教科書よりほかのよい教材も探せばただで手に入れられるだろう。月にもし一万円までしか自由に使えないとするなら塾ではなく、本でもなく、ネット代につかえばいいんじゃないか。
本なら図書館ならただだ。本なら本屋の立ち読みならただだ。ぼくはSABで独学図書を紹介しているがそのほとんどは学生時代に立ち読みしていたものだ。あるいは塾で仕事をするようになって勉強したものだ。自分で買った本は多くない。今でも貧乏性は抜けず古本屋で本は仕入れている。神田までいく。

人生を勝ちたいならはい上がるしかない。教科書をたいせつにしよう。教科書ならただだ。教科書だけでも知識は増える。北辰テストは教科書から出題される。北辰テストは有料だ。受けるなら点をとらないと。公立高校の入試問題は教科書から出題される。
文科省の検定済み教科書でもいい。ぼくはたいせつなものとしてなによりも学校の授業と教科書を一番にあげる。これがぼくの考えだ。学校の授業を聞かないなら塾に通わなくてよい。ぼくはそう考える。

たいせつにするもの(2)へ続ける。

社会と理科を復習したいという子。

宿題とは別に理科・社会の復習をやりたいというヒカリっ子がいた。

早速基本用語復習用のプリントをつくろう。必要とされたそのときに出せるようにしておきたい。