2015年04月01日

今夜はカレーだよ(1)

中学生になっても(小学生でも同じだが)親が子に勉強を手取り足取り教えることには、ヴォクは個人的に反対の立場である。いつか独りでできるようにならなければいつまでも独りでできるようにならない。子どもは生来自分で学びたがっているかもしれない。


勉強開始の笛を吹くのは本人、勉強をやめるのも本人ではないのだろうか。学習は試行錯誤の積み重ねを通してはじめて身につく。間違えないと覚えない。失敗の経験が次の成長のバネとなる。間違えてわからなくてころんでもつまづいても、自分なりにやり方を工夫してなんとかする、というのが学習の本質なんじゃないか。 かわいい子には旅をさせよ、という言葉もある。


一緒に勉強して答えを教えるのは親や指導者がやってはならぬことのうちの一つ目である。質問されたときでさえ答えまで与える必要性はない。逆になぜ独りで考えないのか、なぜ調べないのか、なぜ思考停止状態なのかと疑問視しなければならない。

「夕焼けはなぜ茜色なの?」「だよね。不思議だよね。知りたいよね。」

「野菜ジュースと野菜は何が違うの? 野菜をミキサーでくだいたのが野菜ジュースなんだよね?」「うーん、それは私も知りたい、知りたい。」

「どうして季節の変化があるの?どうしていちごは冬や春にいちごになるの?」「を!ゴイスだね。わかったら教えてね。」

「漢方薬は草でできているの?その草は中国でとれるものなの?それとも日本でとれる草なの?漢方薬と普通の薬はどこが違うの?」「きたー。それ、すごく気になっていたの。」

「この問題がわからない。」「いい問題だなぁー。そういう大事なことは自分でなんとかしなさい。」




わからないのは構わない。「でも、全然自分の頭で考えてないよね?」


小学生(ときには中学生)のうちは親が教えていても見かけの結果(偏差値など)はわるくならないだけに問題はさらに深刻化する。

「今夜のご飯はなに?」「今夜はカレーだよ」

「今日はなにをしたらいいの?」「今日は算数からやるぞ!」


親が子に教えたから学力が伸びたのだと親も安心する。子も親の満足そうな笑みを見てそのときは喜んでいる。でもセルフラーニング値が上がっていない。それどころか長い目で見て確実に下がってしまうこともありえる。子は親の指示に従うことしかできていない。親が言ったことしか学べなくなってきた。親がはじめ!というまで本を開くこともない。後から始めの合図があるだろうから今のうちに休憩しておこ、っと。


「あしたはなにを勉強するの?」「今夜の勉強はなあに?」「ぼくはどうしたらいいの?」


中学生になる。…(紙面の都合で中略)…セルフラーニング値は上がっただろうか。


高校生になる。親のスパルタで第一希望の高校に入ることができた。高校では勉強したいことの分量が中学の六倍くらいになる。
「もう高校生なんだからひとりでやりなさい。」「いまさらひとりじゃできないよ。」
それを全部また親が子に教えるというのだろうか。親が一晩中予習しても英数国だけでも普通は間に合わないだろう。それに子供は部活動で家にいなくて一緒に勉強する時間もない。なにしろセルフラーニング値があまり上がってない。


大学生になる。専門書を与えられる。それをまた親が子に教えるというのだろうか。
「今夜のご飯はカレーだよ。その後、今夜の勉強は論理学だよ。」
posted by 花波 ヒカリ at 06:12 | TrackBack(0) | 今夜はカレーだよ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月05日

今夜はカレーだよ(5)

たとえばゲームやまんがあるとしてゲームやまんが自体はいいもんだ。
ゲームがゲームとしていい。まんがはまんがとしていい。

「ゲームやまんががあるから勉強しない」ということばにはどこか足りないところがある。
ゲームやまんががなくたって小説もあればテレビも携帯もラジオもiPadもパソコンもある。
代替のものならいくらかあるだろう。

ゲームやまんががわるいのではない。
いまそれをするべきかやめるべきか。
いま学習をしたらいいのかしないほうがいいのか。それを判断する力がないことの方が問題だ。
「ねー、ゲームやっていい?」
100回くらいはいいかわるいか聞いてていいかもしらん。
でも、自分でわからないの?



部活動は、一般的な部活動のことはヴォクは知らないが、いいもんだ。
東京大学に進学した卒業生が本に書いていた。
「1日まったく勉強しない日をつくっていました」と。

体育会のハードな部活動でただでさえ勉強に回せる時間が少ないというのに勉強を一切しない休日をつくっていただなんて。
恥ずかしいことに6年間そのことに気がつかなかった。
やりたいこととやるべきことを自分で決めているのだろう。

成績が優秀な子でニュースを見ている子もいればニュースは見ていない子もいる。
ニュースを見る見ないがそのまま思考力形成に影響を大きく及ぼすということはない。
時期がくればニュースを読みたい人はニュースを読むだろう。

携帯を持っていても余計な機能をつかってみて邪魔だと感じたものはカットできるような判断力が持てるようにならねばならない。
逆に辞書機能など便利なものがあれば電子辞書のように活用したらいい。

ドラえもんがいたとして、いやいないまでも未来は今よりすこし便利になっていることもあるとして、だから道具に頼って自己学習しなくなるなんてことがあるだろうか。
いろんなことを体験することができていろんな秘密道具を利用できて、むしろのび太は勉強したくなるんじゃなかろうか。
のび太くんが0点のテストだらけという点において「ドラえもん」には間違いがある。
あるいは道具に溺れてまんがの設定のようにのろまなままののび太なのだろうか。

それはドラえもんとのび太次第なのではなかろうか。

posted by 花波 ヒカリ at 11:02| 今夜はカレーだよ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月02日

「アジコメオオメカタメ!」(韻を踏みながら)

小6、高3は中3と違って受験する学校も異なれば、受験する入試問題の形式や内容もそれぞれに異なるので各自過去問を解き、目標と差異とを確認し、必要な練習を行っている。これから受験日まで過去問と良問の問題集(メインのホーム図書)の絡みが続いてゆく。

過去問と問題集は、ラーメンの麺とスープのようにどちらかを欠かすということはできない。

(今日の高3生が昨日行われたマーク模試の自己採点結果を教えてくれた。大事なだいじなデータとなり指針となる。)


過去問からの「アジコメオオメカタメ!」のような叫び声は聞くだけは聞きながらすすめたい。どんなスキルを受験生に求めているのか、過去問から聞こえてくる。いろんな声が聞こえてくる。


ところで、ある行きつけのラーメン屋は「アジコメ」とヴォクが大きな声で、もち笑顔で頼んでも、あるいは大きな声で、もち笑顔で「普通」と頼んでも、あろうことか同じ濃さのラーメンを出してくれる。

なんだろう、ヴォクのオーダーの仕方のどこかに見えない問題があるのだろうか。


普通を頼んでも味コメを頼んでも同じ濃さのラーメンしか出てこない。そういうところも気にいっている。
こちらが何を待ってても、濃いのを待っても普通のを待ってても、ど真ん中のまっすぐがズバッと飛んでくる。
まるでそんなオーダーは右から笑顔で聞いて左から笑顔で聞き流します、とでも言わんばかりに。


江川の決め球かっ!(笑顔だけに)




まぁ、親父さんとしては1コメくらいは違うんだろうけれど、ヴォクにはその差がわからないんだ。

どっちにしても、このラーメン、うまいからいいの。


posted by 花波 ヒカリ at 01:53| 今夜はカレーだよ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月12日

今夜はカレーだよ(4)

セルフラーニングをするにあたり一番の障害は自分で自分にスタートの笛を吹くことだ。いちどはじめてしまえば30分、60分は誰でもとまらない。はじめるまでの時間差が個人差が大きい部分なんじゃないか。


よ〜いのドン。

どどんどん、ドドンドンっ、
ドドン、どんどん、どどんどんっ。

図書館ではやります。そうだね、ほかにやることないし。

塾ではやるんです。当たり前だ、笛が吹かれるのだから。

私がやれと言うまでやらないの。そ〜だ。笛を自分の首に提げていないと笛が吹けない。毎日やれやれ言われたらどうせ言われるからと、つくられる夜ご飯を待つみたいに、自然に、笛の音を待つようになってしまう。


勉強ならひとりでできる。言われなくても気がつけばやる。
勉強は本来楽しいものだ。
ご老人が学校にゆく。中学校に高校に大学に。学びたいから。

七時から勉強するのが毎日の日課(ダブリで)です、と話していた子(小4)がいた。この子は勉強の意味に気がついている。時計を自分で見て自分から勉強を開始する。
やりなさい、はじめなさい、そんな言葉はいらない。


本当にいいものなんだから、気がつけば言われなくてもやる。気がつけばとめられても電気がなくてもやるようになる。

親が子に伝えなければならないのは勉強開始の日々の合図なんかではない。
勉強の意味なんだ。勉強の価値なんだ。しかもそれは一たび伝われば何度ももう言わなくていい。
その笛を首にかけてあげたらいい。
posted by 花波 ヒカリ at 15:09| 今夜はカレーだよ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月16日

昼は大体カレー

わざわざ書くことでもないが、今夜はもちろんカツカレーを食べた。

イチロー選手のまねでしかないが、昼は大体カレーを食べている。

毎日大体同じものを食べていると、毎日大体同じような体調を維持できるというメリットがあるような気がしてならない。

たまは毎日だいたいキャットフードなのでかわいそうな気もする。でも栄養面がそれはいいらしいので、大体それにしている。サイエンスダイエットにするかロイヤルカナンにするかあるいはその両方を混ぜたほうがいいのかなど悩みは尽きない。
漁師の祖父母のうちに住みついていたねこたちは台所の冷蔵庫の前で「ねこまんま」をいつも食べていた。とれたての魚とごはんと味噌汁がまざっていて、ヴォクはいつもそれと同じものを祖母にリクエストして食べた。最高にうまかった。

そうだ。人も、毎日のようにカレーを食べていれば、毎日のように食後は同じような体調になるわけで、余計なことに気を使わなくて良いのだろうか。このままずっとカレーでいいのかどうか、悩みはつきない。

でも、今夜はなんの迷いもなくカツカレーを食べた。
posted by 花波 ヒカリ at 04:29| 今夜はカレーだよ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月15日

たまにはセブンのこと

たまにはセブンイレブンいい気分の話、略して「たまイレブン」。

前にも一度書いたと記憶しているが、塾の近くのセブンイレブンの方にめっさよくしていただいている。
例えば新聞が急に必要になったときにはその方にお願いしてとっておいていただいたり。

ある日ヴォクが一方的に、ファンなんです!と名乗ったのだが、嫌われていなかったみたい。

その方は土日しかそこのお店にはいらっしゃらないので、土日を狙ってセブンイレブンの営業時間のうちに、ヴォクはセブンにいく(ストーカーかっ!24時間営業だし)。

いつもスモールトークを日本語で交わしてここだけの話をこっそり教えてもらう。


ヴォク:「あの〜、いいの、入りましたか。」

兄さん:「牛丼はお試しになりましたか(ニヤリ)。」

ヴォク:「ぎゅ、牛丼?どこ〜?(前のめり気味に棚に近付きながら)」

兄さん:「はっきり言って○屋より…うまいっす。そこっ〜!、それです(手をピンと伸ばしながら)!」

ヴォク:「へ〜っ!、牛丼もぉ?こっちのチキンカレーがうまうまうま〜〜〜でしたよね?」

兄さん:「違うんです。ぶっちゃけぼくがここの従業員ということを抜きにしても、その牛丼はうまいんですよ。」

ヴォク:「えっ!知らなかったなぁ。も〜。塩結び、カレーに続いて…?(至近距離でつゆだくをガン見)」


おばちゃん(もち乱入):「あたし、夜ご飯も牛丼食べてきたのよぉ」

みたいな。




あのお店がめっさいい理由。

一、トークがアツい!

二、牛丼とカレーと握り飯がアツい!(hkr的に)



うまうまうま〜〜〜っ(だから、ラーメン官僚かっ!あんたが食いしん坊なだけやないかっ!)
posted by 花波 ヒカリ at 04:00| 今夜はカレーだよ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月10日

今夜はカレーだよ(3)

「7時からこの本のこのページを読みなさい。8時になったらこっちのドリルをやりなさい。9時になったら夜ご飯。今夜はカレーだよ。」

「カレーには福神漬けを入れなさい。ラッキョウは2つ食べなさい。カレーはおかわりしなさい。」


カレーくらい好きな食べ方で食べたいな。
勉強くらい自由にやりたいな。


なんで勉強しないといけないの?と言う子に勉強の意味を言葉で説明しようとしても届かない。義務感でいっぱいになってる。勉強が嫌いになっている。あんなに楽しい勉強が。嗚呼。

学習は本来めちゃめちゃ楽しいものだ。貧しい国は学校に行きたい子たちであふれている。

学習は超楽しい。他人に強制などされなくても隠れても子どもは本を読む。デンキを消されても豆電球照らしても読みたいものがある。

本を読めなんて毎日もし言われたら逆に読みたくなくなるよ。だってちょうど読もう、読みたい読みたいって思ってたし読むのは当たり前じゃん?なにをいまさら?

本がオモローなら本を読むよ。新聞、雑誌、百科全書、漫画、図鑑、教科書、ブログ、辞書、2ch、参考書…。オモローななめ読みだぜぃ。ひみつを知りたいぜぃ!不思議を解明したいぜぜぜぃ!

読むな、読めとそれらを命ずる理由をヴォクは知らない。勉強は、好きな順番で自由にやってみてもいい。

絶対にうまくなる方法があるから伝えたい、って?練習方法に絶対なんて本当にあるのかな?
あるとしたらつまらないような気もするなぁ。

テニス。
こうしたら必ず最速で打てますと答えがあらかじめ決まっていてどのコーチも一様にそれを指導する?
そのフォームで全員がボールを打つ…。
うん、たしかに速くなりそうだ。

あれ、遅い球は打っちゃダメなのかな。スローカーブも打ちたかったんだけど。
あと、ちょっとは自分流のフォームも入れたいかな。体型だって一人ひとり少しずつ違うし。こっちの走りが気持ちいいし。ヴォクはヴォクのフォームも探してみたかったんだけどなぁ。
あ、もちろんうまくはなりたいよ。でもなんだかなぁ。このフォーム以外は禁止ですか。そうですか。悪球打ちはだめなんですね。


このフォームはダメですか。この左足の着地の位置のポイントをこんな風に少し開き気味にしてみてはダメなんですか?ヴォクはせっかく身体が人より少しやわらかいので…。


コーチ:「うん。それもわるくはなさそうだね。よし、ためしてみるか。」


そんなことをヤマモトマサの新しい投げ方を見ながら考えたヴォクなのです、みなさんこんにち波っ。


ほなね。すた、すた、・・・カレー(1)  (2)
posted by 花波 ヒカリ at 13:39| 今夜はカレーだよ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月08日

2本のスプーン

ウチにグランドマザーカレーのスプーンがある。今年もスプーンのシーズンなのでたまには想い出話。

当時名古屋や岐阜を中心に日雇いの仕事をしていて、その日も早朝から夜まで足が棒になるくらいまで、藤島親方(相棒のニックネーム)とタッグを組みがっつりがんばった。

彼はマックの社員をやめた直後で、夢をおいかけて修行僧みたいな熱意をもってその仕事にあたっていた。ヴォクは移動の車中で自分の持つ限りの営業のノウハウを伝え一緒に成績を追いかけた。
チームを組んで3か月が経った。



ヴォクら二人のペアは中部エリアナンバーワンの月間成績をおさめ、

優勝の祝いにと三重遠征の仕事帰り夜10時くらいに、西岐阜駅から岐阜駅へ向かって徒歩10分くらいにあったCoCo壱に入った。

狙いはもちろん、あの銀のスプーンだった。記念が欲しかった。二人でがんばった思い出にしたかったのでヴォクから誘ったんだ。


2本当たるまで食べよう。


ヴォクのその言葉で涙の大食い大会がはじまった。

藤島親方はやせていたがモスの匠バーガーを15分の昼休憩に3つ平らげるような大食いでその日は5杯、ヴォクは当時はスリムだったが同じくグランマを4杯食べた。

1杯注文すると籤(くじ)が1回ひける制度だった。

たまたまなかなかあたらずに、あるいは当選率はいつもそんなものなのかもしれなかったが、ヴォクらは何杯もグランマカレーを美味しくいただいた。CoCo壱のカレーは美味しかったし、なにより優勝の味がした。




9分の2の抽選結果でヴォクたちは見事、望みの銀のスプーンを2本手に入れ、1本ずつ分けあったんだ。あのとき君はとてもうれしそうな顔をしたね。



ヴォクたちは年齢も出身も境遇もなにもかも違ったが、ふたりでペアを組み、昼飯休憩さえ十分にとらずに目配せしながら数字を追いかけた。

君があるときつぶやいた「ガッツリ」ががんばる合言葉だったね。喉がかれても立ち通しで立てなくなりそうになっても、座らずに声を出した。苦しくなるとたまにエンジェルが向こうからやってきてデカイ買い物をしてくれた。


そのスプーンで食べると当時の楽しかった仕事を思い出して泣きそうな気持ちになる。


ヴォクは泣かない人間だ。実際に泣いて塩味になることはないから、ヴォクは今でもよくそのスプーンで食べているよ。

君もそうだと信じてる。
posted by 花波 ヒカリ at 04:36| 今夜はカレーだよ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする