2014年03月24日

もっと勉強したい(37)

初学者よ、解ける問題から解け。

難しい問題をずっと考えていて途中から頭が動かなくなってくる。

もうずっと根性と意地をもって机に座って問題を見つめているのに手が動かない。

まるで泥沼の中をもがいているような気分で表情がこわばっている。

それでも考え続けることに単元の仕上げ期においてなら意味もあるが、初学時にはいささかも意味がない。

とまってうんうんとうなる時間をつかってすぐに解答を見たらいい。

解答の解説をじっと見ても何をやっているのかよくわからないことがあまり多いなら、そもそもやる問題集を間違えている。

7割から8割くらいはなんとか自力でわかる問題群を探して先にそっちに手をつけよ。

残りの2割3割の要素を問題集を読み参考書を調べ、うまく吸収し、自分の力にすることができる。

2割3割の解決できなかった問題に学ぶことができる。

問題集の◯の数を数えよ。
全部◯なら、やはりやる問題集を間違っている。

ひとつも×がないことがずっと続くなら問題集のレベルを上げていいだろう。
0、1、2が身についているのだ。

全部×なら、問題集を間違っている。
その問題集がレベル6として学習者の単元レベルは4以下だったのかもしれぬ。

雪だるまがだんだん大きくなるみたいに力が自分についてきたと思ってからでも最初の(以前の自分のレベルよりも上にあった)問題群に立ち向かうのは遅くない。

独学者が困るのは練習メニューの選定に自信がなくなったときに誰も周りにいないことだ。

しかしいまはカリキュラム、学習プラン、問題集の情報はネットを見ても見つかる。

以前のように限られた先輩談、学校のカリキュラム、数冊の合格体験記だけに頼らなくとも、いつなにをやったのかの情報が入手しやすくなっている。

玉石混淆でネットなんてだめと言うなら書店に行き問題集をよく比べよ。
よい相棒の選択肢が少なくない。

独学者はコーチがあれこれ練習メニューを組み立ててくれないときこそ、自分のやりたい順序でやりたい練習をしたらいい。

それがセルフラーニングだ。あれこれもがきながら毎日目標の時間いっぱい、自学するのがセルフラーニングだ。

疑問点が山のようにあふれる場合に、疑問点が生じないまま読み進められる参考書を読むのもひとつの手だ。

どうしてもわからなくなったら同じ単元で複数の参考書にあたってみるのもよい戦術だ。

ひょっとしてAの単元はBの参考書がよいが、Cの単元になるとDの参考書の方がわかりやすいということだってある。
そして後から振り返ったらその単元はBの参考書よりも(捨てた方の)Aの方がよくまとまっていてわかりやすく感じたなんてこともある。やっぱりAいいなー。


初学時は全体像が見えないうちはとかく道に迷いやすい。
大きな森の中で自分を失い、ともすれば自信喪失にまでいたる。

森全体を見ることができるようになるまでは薄くても全体を手早く終えられるようなかんたんな参考書を一周するのが鉄則だ。

かんたんでも全体がわかれば、次に難度があがった問題集で細部をやるときにでも解法の見通しが立てやすくなるものだ。

なぜならその問題が単元の中でどんな意味を持つものなのかという大きな視野と地図をもって立ち向かうことができるからだ。

ここに来たのは初めてではないという根拠から来る自信が解答者に集中力と方向感覚を与えてくれもする。

はじめは、かんたんな道でいいから全体を歩き回れ。
これを森勉という。

森勉(36)が単元を極める直前段階、仕上げ段階にいる上級者の学習法とすれば、今回の(37)は初学者の森勉。

いっぱんに森勉では、上級になればなるほど細部にこだわって学習するようにし、はじめであればあるほどまずは全体を見るようにしてみることを戦略とする。

ざっくりいって、初学者こそ、かんたんな問題集をやれということだ。
教科書や傍用問題集ができないうちに背伸びして難しいのばかりやるのは逆に遅くなる。
そして教科書がわからないなら教科書よりわかる基礎まで戻ってやるということだ。

7割8割解けて、解けなかった問題と格闘する、その繰り返しの先に、目標大学合格がある。

高1の入学時に描いた君の目標はなんだろう。
そしてそれをつかむための道はどんな道だろう。

他のものを犠牲にしてでも達成したいことがあるのなら、その道を突き進め、その道の真ん中を突き進め。

進もうと思ったら方法はかんたんだ。
進もうと思ったらたんに自学自習して進めばいい。

自学自習すると何が変わるか。
工夫するようになるんだ。

暗記法など。
いろいろなやり方を自分なりの仕方でためすうちに暗記スキルが向上していく。

小さいノートにまとめる。
ルーズリーフにまとめる。
紙に何回も書く。
つぶやく、見る。
隠す、見る。
読む。
ダビングする、聞く。
暗記の仕方などいくらでもあるがそれを自分でやってみるということに自学自習の意味がある。

自学自習をしてはじめてできあがる学習能力というものが存在する。

目次をつくる。
まとめる。
間違った問題について調べたことをまとめる。

自分でつくったノートには愛着がわくから何度でも見返したくなる。
もしも筆跡がお気に入りのタイプなら効果は倍増。
もしも好きなペンの好きな色で文字が書かれていたら効果倍増。
(だから習字は頭にいいんだろうな)

書いてて自分で書いた文字が嫌になるよりは毎回うっとりできる方がよくないか?

書いてて毎回ボールペンのだまが気になるくらいならだまの出ないペンで書いたほうがよくないか?

復習するタイミングも一日後、二日後など忘れかけたちょうどその時にやるのもうまくなっていく。

自分が覚えたことを何日間そのまま覚えていられるのか自分でわかるようになっていく。

本を読んで記憶に残りやすい時間帯というのもわかってくる。
寝る前に読むのか、寝起き直後がきくか、電車の中の25分間が記憶にいいのか。一日中ずっとやれたらよいが一日中机に向かっていられるほど恵まれた環境にいる人間はそんなに多く居ない。

本を読むときも一冊を一気通貫がいいのか、単元別に小分けにして複数の本を乱読するのがいいのか。

タイプができあがっていく。
そして自学自習をすればするほど新しいタイプが出来上がり一層自学自習能力が増してゆく。

講義を聞いてインパクトや感動をもらうのはたしかにあるが自分のものとするためにはその何倍の時間分もの練習がいる。

不調なときに新しい勉強法を試し打開することができるようになる。
たとえスランプに落ち込んだり、一時間
廃人になってしまうにしても、新しいことを試せる人は起き上がるチャンスを自分でつかみやすくなる。

何度も工夫して勉強法を塗り替えてきた過去の自分が不調のときの自分を助けるバネになってくれるようになる。

定期試験前だから勉強をする。
入試前だから勉強をする。
それはそれでもちろんよいだろう。

でも知りたくて勉強をしてた、って部分を忘れてしまっていないか。

その証拠に一週間勉強禁止という環境にいれられたとしよう。

うれしいか、苦しいか。




(前回 「あの子が勉強する理由」)
http://selflearning.seesaa.net/article/287978615.html

(つづく)
posted by 花波 ヒカリ at 05:55| 反復という名の漆塗り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月22日

森勉(36)動かない木と一題に多くを学ぶ習性

とけないなーとけないなーなんでぼくはこんなにとけないんだろう
むいてないのかなー
こんなんではそろそろきょうの持ち時間がおわってしまう

あーむずかしいなーわかんないなー
なんでこんなのあるんだろう

壁にあたる
壁にあたってとまる
動きがとれなくなっている





ほー。
いい勉強中じゃ。
木の勉強ができとる。


え!?


木をみんしゃい。
動いとらんように見えるか?
木は何をしておる?

え?
なにをて動いていない。
動かない。
西へ東へ動かない・・・前にも後ろにも・・・
あ、・・・根っこ?

そうじゃ。
木は動かないように見えるじゃろうが動かないときに下へ下へと根を伸ばしておるんじゃ。

壁なぞ、何枚も突き破っておる。
硬い固い地層の下まで根をはりめぐらしておる。

そうして準備ができるまで何回もまた下へと根をおろして広げておる。
あきらめたら木はつとまらんけのぉ。

上に高く伸びて横に大きく広がっておる木の地中深くにはもういっこ富士山があるみたいなもんじゃ。

じゃけんのぉ、とけないなー。むずかしいなーともがいておるじゃろう?
それはいい勉強中ってこった。
木の勉強中ってこった。

悩め、なやめ。
止まれとまれ。
悔し涙を流しながら眠るがいい。

準備ができてからまた上を見たらよかけん。







ずっと考えていたら思いついた。
いくつか思いついた。
試してみたらいい。
全部試してみたらいい。
いまは練習だ。
全英オープンでも本番ではなく練習中なら複数のショットを試すことができる。

森の中で勉強する、自学する際は、問題数問題量を多くするよりも、一題をとことん調べ理解し自分のものとし、応用スキルを高めること(一題から多くのことを学ぶスキル)が肝である。
良問には多くの解法がある。たとえば円に内接する四角形の問題ひとつをとっても、初等幾何(相似、方べきの定理、トレミーの定理)、三角関数、座標計算、ベクトル、複素数による解法が考えられ多くの場合はそれらのうちの複数の手法で解決でき、あるいはいくつかの複合技によってもっと速い解決が可能となる。
これら複数の解法のうち、初等幾何でまずは解いてみようとする場合に相似だけを考えてみて終わりとするのではあまりにもったいない。相似から導いて方べきの定理を習得するチャンスでありトレミーの定理を証明したり使いこなしたりしてみるチャンスである。
一般に解決の方法がいくつか思い浮かぶような森勉中はそのすべてを試してみるべきである。森勉中はスロウでよい。何回も中途半端にしてどうせあとで一大事としてとらえなおしやり直すくらいならはじめからスロウでもいいから徹底的にやればいい。

たしかに問題は解決するためにあるのだが、入試本番でない練習中にはいくつかの手法にも光をあて試したり比較したり検討したりしてみることが実力の向上につながる。解法の選択肢を多くもつのは投手が球種を多く持つのに似て有利になる。解法の選択がうまくなるのもしかり。
種類と選択のうち、種類について、様々の解答なら詳しい参考書をいくつか調べれば載っているだろう。

様々の解答が親切な問題集の解答集を見れば解1) 解2) 解3) と複数並べてある。
森勉人がするべきはそれらの様々な解法をたんに鑑賞することではない。

解決策が自分が試してみた他にもいくつかあったということに気がつかなかったことを悔やみ自力でもそれが思いつける(できる)ようであるのかを試すこと、やってみてだめなら真似して習得すること、その上で解法の枠組みの中に、相似、方べき、トレミーと名付け記憶の引き出しに整理すること、そこまで求められる。

入試の問題はよく練られていて、ただ解けたからよしとするにはあまりにもったいない。
ノートに問題をはりつけ、問題の背景、解決策をまとめてみるくらいの自学をするのが一題を一大事としてとらえ一題から多くを学ぶやり方なのである。様々の解法を一題の中で試してみることで次に同様の問題にあたったときに前回一番よかったものとして記憶した解法(ベストの解法)から順にためすことができるようになる。それは人が一番いいと言っただけの(借り物の)解法ではない。自分で前回ベストだと判断した(マイ)解法だ。今回はどちらの解法でも同じく使えるかもしれないし前回ベストでなかった解法が今回のベストソリューションになるかもしれぬ。

解法のよしあしも問題の背景や設定により変化する。
解法のルールや原則を習得したら短い言葉で印象的に頭の中に整理されていくだろう。
引き出しやすい形で収納されたかが少し不安というのなら解法ノートにメモしてまとめておけばよい。
それが森勉ノートだ。

ほなね。
お腰につけるズク2013ver.
image-00250730195754.png
頑丈なのがいい。

今日の東大数学の子。
英語国語含めてちょうど10年分の過去問演習が終わった。
1980年から1989年まで来た。
今週から90年代に入る。
ヴォクにとっては一番熱い時期に入る。10年分を終え要領をつかみ自分色が答案の中に出てくるターム。
楽しみでならない。





posted by 花波 ヒカリ at 05:35| 反復という名の漆塗り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月13日

森勉(35)木

塾生の中学校のOBに堀尾さん(アナウンサー)がいらっしゃったことをいま知った。
堀尾さんラブなヴォクのテンションが870あがった。前に浦和高校の塾生に聞いたことはあったがまさか中学生に先輩の話として聞かされるとは思ってもみなかった。
彼の中学校は勉強熱心校で定期試験はいつも難度が高い記述式。
通知評では試験の点は参考程度。
私学のように個性的。

卓球部だっただなんて。



中2の子たち。
勢いを感じる。
期末試験では自己ベストスコア更新のMGH多数。3回原則を守りここまで続けてきた子たちだけなので当たり前か。

中間から期末までは日数がほとんどなかったのでこの短い期間にパワーを上げたというよりは普段から走り続けたランがペースを落とすことなくエンドレスに続いたせいかもしれぬ。

今日の会場模試は自由申込制だったがひとりを除き全員が申し込んでいる。
申し込んだらどうかなどとヴォクがすすめたということはない。

中2の子たちも他の学年同様小学生の頃からずっと一緒にやってきたメンバー。
セルフラーニング○が身についている。
もうヴォクの手を離れている。彼らに怒鳴ることはいまは少ない。
小1からいる子は好きなように勉強している。
それでいい。
ヴォクはそれがいいと考えている。


今日の会場模擬試験。
定期試験と同じく過去問には一切触っていない。
いつもと同じく当日の集中力勝負。

自分の相撲をとってきて。


中3は前半戦のタイム測定会。3月、4月、6月同様全員受験の今回、この会場模試のこの会7月模試の合格判定は5科目の実力点の測定という点で非常に精度が高い。


いまの位置(志望校内順位)はよくもわるくもハーフタイムを表す。進学後順位との相関性は小さくない。いま上位なら進学先の私立高校なら一貫生とまじって不明だが、進学先の公立高校ではそのまま上位、逆もしかり。いま下位ならたとえ合格しても高校で下位。
このマラソンのハーフタイムがわかるとはそういうことだ。

もちろん高校に入ってスパートして巻き返す人は少なくないだろうが、小学生の頃から平均型習慣型で走ってきた場合、スパートだけにかける必要はない。ここまでも走ってきた。走るのはいまでいい。


試験中に鉛筆を動かす手の動きがもしとまったときに、冬11月からの入試対策練習量がものを言う。難問題のタイプと解き方は過去問と格闘してきた手が知っている。

考えてもかんがえてもわからないときにそれでも手が動いたなら練習は本物だ。
そのときまた鉛筆が動いたなら練習は本物だったんだ。練習中は止まらない仕方を学んでいるのだから。解決の糸口、次の一手を学んできたのだから。

闘ってきてください。





もしもピアノが弾けたなら、

僕が彫刻家なら、

ヴォクです。(ぜにきん風に)


きょうから森勉の2章、木の勉強だったね。
でね、学習法というのは木のつくる模様みたいにところどころ変わってていいと思うの。

年輪みたいにあっちは広い、こっちはせまくて、濃い薄いがあって、それでもいいの。

1章は書き込まない、2章は書き込んだ。
3章はボールペンでノートに書いた。
4章はシャープペンシルでメモ帳に書いた。
そういうことのどれもそれでいいの。
読んだ。
書いた。
繰り返し見た。
解答を読んで考えた。
解答を見ないで調べた。
どれもそれでいい。

学習は好きなようにしたらいいと思うの。
いろいろやってみるとこれはいいなというのが出来たりする。
やってみないとどれがいいかなんてわからない。

これでなかったものも自分で試しているからこれのやり方のいいところもわるいところも見える。
味がある。そして味がわかるから味わえる。楽しめる。
すきな勉強法をとれるから楽しめる。
きょうはこんな風にしたい。
それでいい。


年輪というのは黒い部分だけでは見えない。
白い部分があってはじめて黒い部分が見えるし黒い部分が多いと白い部分の模様が見える。

勉強の仕方だって年輪みたいにぐるぐるしてていいんじゃないかって。
どれも結局成長してるんだ。
年輪は成長のあかしなんだ。
学習法はだから、週替わりだって日替わりだって構わない。
改良回路のポリシーがある限り、途中の細かいところはどこを通ってみたっていいんだ。

ほなね。森勉「木」の章につづく。


「今までと同じ考えや行動を繰り返して異なる結果を期待するのは狂気だ」(アインシュタインのことば)









posted by 花波 ヒカリ at 22:12| 反復という名の漆塗り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月27日

森勉(34) 問題を付け足すようなスロウスピードで

愛読書は貴乃花のヴォクです。『貴乃花 不惜身命、再び』はよこーーーい。

大相撲(ダイジェスト)は小学生の頃からいつも見ている。
10回以上書いたけど。

高3、中3の6月模試結果を受け取った。
昨年よりひと月前倒しして11月から入試過去問を題材に総復習1次スタートしていた。全体としては昨年よりその分仕上がりが早い。教科、総合、自己ベスト(MGHは全国入試問題集)が多発している。驚いた。
遠かった志望校までの道が見えてきた子もいる。

逆に今回は、遠い一本道の先に門が遠のいた子もいる。
なんとかするしかない。
自分でなんとかするしかない。



7月、9月に向けて2次スタートを切ろう。
もういっかい、もういっかいノートにポイントを整理。自分のベストの解法をメモする。

平成25年度の全国の入試問題の1問1問と対峙することができる。まだ見ぬ君とやっと会えた。
唸りながら味わいながら取り組んでいこう。

考える。
この問題の出題の意図はなんだろう。
考える。
この問題の新しさはどんなところだろう。
考える。
教科書の記述にはどうあるだろう。
考える。
自分ならどんな小問を付け足すだろう。

問題を自分で作る。それが森勉のひとつだ。
解答を憶えて終わりにするだなんて入試問題がもったいない。
もういっかいもういっかいノートがもったいない。

「自分ならここのところを問題視する。」
「自分ならこう出題する。」

限りなくスロウスピードに近い森の中に森勉がある。




なんてすてきな問題だろう。

こんなところにあったのだね。

あるーひー もりのなかー 問題にー であったー。

はなさく森の道、問題に出会った。


posted by 花波 ヒカリ at 11:10| 反復という名の漆塗り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月26日

森勉(33)

中2生。自学自習図書の『1対1の数式演習』、『1対1の図形演習』(東京出版)が3周目に入ったと話してた。(この自習図書の方は授業では扱わず進度だけ時折確認している。授業中は「分野別過去問」や『速単』、解釈教室などをやっている。)

彼は森勉の条件「3周以上繰り返す」を実践している。

彼はエラーの記録をとっている。
エラーの記録というのは前回どの問題でどういう間違いをしたのかということの記録のこと。
点丸などをつけ記号化して記録している。
従って2、3周目は前回盲点だった部分に集中することができる。
もういっかいもういっかいノートをとることのメリットのひとつにこのようなエラー箇所を知り次にはエラーしにくくなるようパラパラとエラーしやすい場所のみを復習することができるというものがある。

他に、彼独自の勉強として驚いたことがある。
彼は1、2周目に○だった問題を3周回目でも解いていた。それはヴォクのアドバイスにはなかった。
1、2周目はただの予習だったというわけか。
スピード○を身につけることができるだろう。

今年のうちに全部の問題を○にしよう。
ヴォクが伝えていたことはそのひとつしかなかった。
彼はスピードをつけるため自分流の学習スタイルをつくっている。

森勉(32)のつづき。
http://selflearning.blog.so-net.ne.jp/2012-07-04-3

森勉ははやいかおそいか。それは遅くもあり速くもある。

問題はわかるまで時間をいくらでもかけることが森勉Slowだ。
急がば回れという言葉をヴォクはよくつかう。
やりたいことが多いとあせるものだが、すべての道はローマにつながり、目の前の一題と格闘してわかる解けるできる身につくまでゆっくり時間をかけて何回もやることが結局教科の森全体の把握につながる。ただ森勉が言うのは一周目で解決する必要はないということなのだ。一周目はなんとかわかればそれでもよろしい。二周目、三周目に自力で理解するための準備が一周目であり一周目をやるときにはゆっくりゆっくりやっていいのだ。
一周目に一題に60分かかっていたものでも身につくくらいまで考えていたら二周目には半分以下の時間で解決にいたるだろう。
ゆっくり格闘するのが森の陽だまりの中でslow speedで勉強する森勉の特徴である。
(先日コメダさんでコーヒーいっぱいで6時間くらい勉強している人がいた。彼は3〜4題くらいの問題をノートに書きながら丹念に考えている様子だった。ノートに殴り書きしながら没頭しているようだった。森勉だなーと勝手にヴォクは思った。)





posted by 花波 ヒカリ at 01:18| 反復という名の漆塗り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月23日

あの子が勉強する理由

成績が上がったとか試験で点をとるとかそんなところにばかり目がいってしまう。そういうことはただの結果に過ぎないというのに。

たるんだ子どもには怒鳴りつけ、勉強をたくさんしている子どもにはどうしてそんなに勉強しているのかと尋ねてしまう。

勉強するわけについてよく考えなくても考えても、勉強は楽しい。
昨日まで知らなかった世界について、新しい知識を得る。
昨日まで解決策のなかった諸問題の解決の突破口(のように見えるもの)を手に入れる。
こんなにたのしい遊びはないではないか。

「なんでそんなに勉強しているのかな」
「なにか将来の目標があるのかな」
そんなことを聞きたくなった自分を後悔する。
たのしいからやっている子に理由を尋ねるだなんて。
彼らはたとえ禁止されても隠れて勉強したがるだろう。
ヴォクが不思議そうにする。

聞かれて困った子どもは、
「不思議がられても逆に困ります。
たのしくてやってるだけです。
(負けず嫌いでやってるだけです。)
好きでやってるだけです」と目で訴える。




受験で点をとることは結果であって目標視しなくていいのに。
過去問や模試のスコアにばかり目が行き到達度などに重点をおいてしまう。

ああ。
ヴォクは過去問病だな。森に戻らなくっちゃ。

勉強はもっとたのしいもんでいい。
研究はもっと自由に、もっと気ままでいい。
勉強はシェフのきまぐれサラダだ。

同じところに行くのでも道はたくさんある。
目的地も、好みに応じてあれもこれもだっていい。
どんなサラダができたっていい。


この病から抜け出そう。


posted by 花波 ヒカリ at 08:28| 反復という名の漆塗り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月14日

森勉(33)

森で勉強する(32)http://selflearning.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2012-07-04-3 の続き。

入試において過去問は木であり教科書やホーム図書が森にあたる。
1つひとつの過去問をやることで自分がどうなればいいのかが見えてくる。
すごい問題、ゴイスな問題、いい問題、わるい問題ある。くー、そうきたかー、おもしろいなー、ゴイスだな。持ち帰って検討します!勉強させてください!という問題もあれば、そんなので私の力が測れるの?なにこれ?(つん)という問題もある。
でもそんなことをただ批評しているだけでは何かは始まらない。難問奇問良問悪問いいもんわるいもんゴイス問含めて、過去問をやるときには得点を集める人でもなければならないもん。

入試はそれが紙に書いた答案用紙を採点されるというルールでの得点形式である限りスコア(素点)を多くとった人が問題(=課題)解決者である。
まだ修行中の身で過去問を前にしても制限時間内に何にも手がつかないなら、何が足りないのかがわかる。
基礎のピースがそもそも足りないならそれをホーム図書で集めるしかない。
時間が足りないならスピード◯を身につけるため「知識の引き出し」速度、文字を書く速度を常日頃測定するしかない。毎回時間を測定したらいい。
読んだらわかるが思いつかないなら繰り返しや定石定着により「知識の引き出し」を強くする。
過去問や模試が本番と異なるのは分析し反復し反省する時間までが与えられているということにある。
はじめから合格最低点を超えるようなら苦労はないがそうは問屋が下ろさない(過去問屋だけに)。
過去問は10年分、20年分、30年分と縦に進み、他の学部の類似問題まで横へよこへ広がり、解いて構わないが右から解いて左に流す合気道術の流儀でやってはいけない。
解いて格闘して立会いからやりなおす相撲稽古のように繰り返し、解けるまでやったほうがいい。
過去問という大木を見て入試を知ったらいつも基本のホーム図書に戻ったらいい。家は戻るためにある。
ホーム図書のメモに何年にどういった形で出題されたかをメモしてもいい。
ホーム図書の解決方法を調べ相談しコンサルトし自分なりの形での結論を持っておけばいい。
過去問や会場模試と稽古するたび、闘う自分に磨きをかけ心技体を高めることができる。
過去問を復習してしまい丸飲みしてしまい自分を大きくするのなら、悪問奇問さえ肥やしとなるだろう。
それどころかほとんどの入試問題は何ヶ月も寝かせてつくられた大作であって、学ぶところがたくさんあることだよ。




posted by 花波 ヒカリ at 07:14| 反復という名の漆塗り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月03日

森勉(30)

こんにちは、もりのべんぞうこと、世界のもりべん(30)です(もりべんってだれだよっ!)。

え・・・! べんぞうさんて30歳じゃないの?

(いや、そもそも苅野勉三(かりの べんぞう)であって森のべんぞうさんではないからっ!)


だれでも知ってる当たり前のこと、でも意外に実行する気がしない壁(のようなもん)があること。
一冊を何周も繰り返して全体像と細部をつかむという話「もりべん」のつづき。

もりべんについてぼくも書こう。
ほっともっとにもほかべんにもないかんね。



決めた一冊のことは「ホーム」と呼ぼう。
たまに見に行く参考書は「アウェイ」ね。

「ホーム」図書をつくるメリットは何だろう。

合格者に話を聞くと「数学は◯◯しかやりませんでした」なんて話がよくある。
え!それだけ? なんで?というような感想を持つがよくよく聞くと、ただしその一冊を前書きから後書きまで丸ごと覚えるくらいにまで繰り返している。書物の発行年月日を覚えているなんてザラである。それくらい読み返したということだ。

このように、よく一冊の参考書、問題集ばかりを何周もやって極める学習法について耳にする。
一冊に絞るメリットとして一周目に速く回し全体像を早期につかめるということがある。
一周目はいい意味でアバウトに進めている。
細部には拘らず森の全体を見渡すまでの時間が一冊だけなので速くなる。
難所に出くわしたなら、一周目には旗や印だけつけておき他の本に調べることもせずすっとばす。二周目以降にそこは重点的にやればいいまでの話だ。

たとえば新しい不慣れのゴルフコースではじめの一打を打つ時にグリーンまでのマップがはじめから頭の中に描かれていたら一打目をどの辺りにおけばいいのかがわかる。
まったく知らないコースをプレイするときよりも慣れたコースでプレイするときの方がスコアが上がるのはこのためである。

勉強もこれに似て全体の中のどこをやっているのかを意識しておくことで学習しやすくなる。だから一周目はたくさん失敗していいしたくさんエラー経験を積んだ方がいい。失敗することでそこが重点だとわかるようになってゆく。落とし穴には旗がもう立っている。
このように一周目速く回して全体像を把握するのが「森勉」の特長の一である。

たとえば数学でよく「わかるまでえんえんと考え続ける」という学習法がある。もちろんこの学習法にいい部分はたくさんある。でも、一生考えつづけたとしてもわからない問題が存在するのもまた事実。数学はそれくらい難しいものだ。腑に落ちないとしたら、その課題は課題として棚上げし、マークだけつけて、次に進むということをしないとずっと同じところで立ち止まったまま1年、2年が過ぎてしまうということがザラにある。
なんでだろう、なんでだろうと疑問に思うことは大切であるが、疑問をノートにメモしたら、いったん注吊りしたまま次へ進めてみよう。違う分野をやった後から戻って考えてみたら、あ、わかった!ということだって数学には多いんだ。
ラッセルは「地下へ行け!」という号令とともに、長く考えてもわからないことがあったらすっかりそのことを忘れてしまう習慣があった話は有名。

「森勉」には二つ目の特長がある。
記憶はくりかえすほど定着するのは教育心理学で知られている通りである。同じ解法を二周三周四周五周六周と見直すことではじめは意識的だったものが徐々にじょじょに長期記憶の倉庫の中で整理整頓されるにつれ無意識に近くなる。オートマティックにページの先の方に何が書かれているかが予測できるくらいにだんだんなってゆく。著者の思考回路が頭の中に出来てくる。もっと何周もすると、わかるところはペラペラとページを早くめくりながら理解できるようになってゆく。二周目は重点を中心にやることになるのでそれなりの時間がかかるが、三周目、四周目はマークが少なくなっているので周回あたりの時間も短くてすむ。
短い上、記憶がますます定着する。
いいことずくめ。
数学の底力は、正解になったときよりも正解が得られる以前の試行過程においてもっとも身につく。単にすぐ解けることを目標にせず、1周でわからなければ2周、2周でだめなら3周と繰り返し考えることが、力をつける秘訣になる。
定理(数学の本質)は1つでも、その理解には(無限の)深さがある。
何度でも、定理と問題の間で悩んだらいい。

三つ目の特長。
著者により解法は異なる。はじめからいろいろな本の著者のいろいろの解法で学ぶとひとつの解法をマスターする前に混乱して時間がかかる。はじめは割り切ってひとつの解き方だけを自分のものとするなら習得しやすい。はじめから振り子打法とガニ股打法を身につけるのは、難しい。


そういうことがあるのでまずは一冊を血肉化できるまでやるのが効果的だ。
どうしてもわからないときだけ他の参考書を調べるために使えばいいのであって、二冊三冊を必ずしも同時に回す必要はない。
よそ見ばかりして、あの本だったらわかりそうだな? この本はあまりよくないのかな? なんて考えてウダウダする前にとっとと決めたその本を一周回したほうがいい。

昔教えていたある子は「森勉」をどう勘違いしたか、『英文解釈教室』を5冊持っていた。
わけを聞くと繰り返し用だと説明していたが、本が変わってはマークがなくなってしまうではないか。

どうしても白いのが欲しかったらもう一冊だけでよかったのに。

最後に、マークを入れるときは一周回目は薄い色の蛍光ペンがいい。黄色とか。そもそも一周回目は右も左もわからずどこが大事かもわかってないときだ。蛍光ペンの意味が小さい。あとで二周目にも「?」なときに少しずつ上塗りし濃くしていけるから。
はじめからどピンクや紫でぬっちゃうと復習時に目立たせるのが難しくなってしまうかも。


(おおもりのべんとうやさん(31)へ続く)
http://selflearning.blog.so-net.ne.jp/2012-07-04
posted by 花波 ヒカリ at 07:03| 反復という名の漆塗り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月21日

今日のベンチ入り

今日の森の公園のベンチもよかった。

花粉を感じさせない透明感。

あたらしいねこがきた。

マリナーズの2012年新3番バッターのあたらしいバッティングフォームを目にしたときのようなびっくり。

どうぞ、よろしくね。


posted by 花波 ヒカリ at 11:31| 反復という名の漆塗り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月27日

森の早勉(3)〜トレイン〜

森の早勉のつづき。


電車の中で立っている。
電車が駅に着くまでにリミットを設ける。時間がない。ないようである。あるけど長くはない。

ただでは乗らない、ただでは降りない、必ず着く前に覚える。
乗るなら覚えねば。
定期代を払って電車を利用し、ついでに用語も覚えてみる。


実際電車の中の通学タイムを全部暗記に回すことで、面倒な部分の大半が電車の中で終わるようになる。

家ではゆっくり(紙に書いて)思考する学習に時間をあてることが可能になる。
幸い携帯端末でも読みやすい時代になっているし、あるいはA4の紙を2、3回折り曲げてメモ帳にしてはさんでもいい。はじめメモ帳1枚だった暗記速度は毎日まいにちトレインするうちに(電車の中だけに)、メモ帳2、3枚毎電車(パー トレイン)にまで上がってゆくだろう。

電車の中で英文を覚えるときは脳内で口ずさみチェックし理屈を思い出し訂正しくりかえしくりかえしトレイニングして最後には無意識にそれが口をついてでるようにする。

1つずつ覚えるのでは忘れてしまう。
違う。1度に3つずつおぼえてみるの。
そうしたらおぼえるために脳がひとりでに余計に工夫してくれるからとっかかりが増えて忘れにくくなるよ。ためしてみて。







というようなテクニークは実際はささいなことで、なにより毎日トレインしていていいのは、速くやる意識、ただでは乗らない意識が獲得されること、時間の資源意識が身につくことなんだ。

毎日おぼえるようになると、覚えない日の自分が嫌になる。
練習を休むなんて「ありえなーーーい」(←まあみの口癖で)っていう意識になるんじゃないかなぁ、って。

またね。

posted by 花波 ヒカリ at 10:32| 反復という名の漆塗り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月09日

森勉(1)

いつも来ていた地元の温泉が閉店した。
こちら桶川は鹿児島と違って温泉場の数が多くない。

いつも来ていた、(ヴォクがたまに店番を手伝うこともしていた)茶店が閉店した。ここ桶川上尾さいたま北本は愛知や岐阜と違って喫茶店の数が多くない。

そういうわけで代わりの温泉・喫茶がなく、場所を変えて進める作戦が難しくなったので最近(2年くらい)は公園にくるようになった。

マイ・ベンチの調子は悪くないしここは猫がいるのもいい。

公園の場合、本が風でめくれやすいのでコピーをとって板padに収納して、i板で読んでいる。appleに感謝。
それにiPhoneでは家のパソコンがリモート操作できるのもいい。ファイルの取り出しから本の検索まで家のデスクも公園のテーブルも環境が変わらない。


Goodreaderをよく使うのだが、過去問を参照したいときなんかでもこれだと何冊入れてもかさばらない。

image-20111021223604.png

それに栞をつけていると検索したらすぐに類題を引くことができる。

喫茶店では一人でない時はイヤホンだったミスチルを、イヤホンなしで流せるのもいいもんだ。
posted by 花波 ヒカリ at 10:40| 反復という名の漆塗り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月22日

森の花波勉(1)

自分でわかったことは、すっかりわかったときに身につく。

問題意識がある。
「森」の中にいたあのカメたちは何年くらい生きてきたのだろう。
海の「波」はどうしてよせたりかえしたりするのだろう。
桜の「花」はどうして一年に一回しか咲かないのだろう。

人に聞いてもいい。
本に聞いてもいい。
いつかわかるまで待ってみてもいい。
それは好みの問題だしいろいろな個性的な学び方があってしかるべきだ。

自分で疑問に思ったときに調べてみるとわかるまでの時間は短くなるだろう。

自分で疑問に思ったときに人に教えてもらったならそういうことだったか!と納得することがしやすいだろう。

周りに聞ける人がいなくなってもなんとかなるように、詳しい本があったら頼もしい。
本の中に書いてある。
そして本の読み方を知っている。
本に調べる仕方を知っている。
それをよく読めばいろいろのことはわかるようになるだろう。

分厚くて親切で(初学者のいろいろの疑問を想定して)すこしやさしいスタート点からスロウペースで何でも書いてあるような本は、値段がいささか高いかもしれない。
ステーキを二、三回くらい我慢しないと入手できないくらいかもしれない。

高いなあ。洋服が欲しかったけど我慢しようかな。髪を切るのは一回パスしようかな。

いや、そもそもそういう本を書いた人は2、3枚どころかステーキを200枚くらい我慢してどこか森の中にこもって書き上げたに違いない。

そういう本を手にしたら、ブックカバーを着せて大切に使いたい。
本当は線を引いたり言葉を書き込んだりしたいのだけれどこの本は一冊しかないから迷う。付箋紙やノートを利用しようか。

そーだ、雨にぬれないようにしよう。

間違って読みながら眠ってしまって頭の下で紙が折れ曲がったりしたらいやだ。

間違って、居眠り中によだれをたらしてしまったらどうしよう。

読まないときに本を収納しておく書庫で、本の下にほこりや汚れがないように本棚にもカバーをかけておこうかな。

あ、紙に虫でもついたらどうしよう、防腐剤や防虫剤も必要なのかな。
ちょっと調べてみなくちゃ。

たまー、ふみつけないでね。


ああ、こんなにいい本があってぼくは幸せだなぁ。
何回も読んで身につくのも楽しいし、次は何が書いてあるのかなと新しいページを開くのが楽しみでならない。

聞こえてくる。
著者の声が聞こえてくる。



(森の花波勉(2)へつづく)
posted by 花波 ヒカリ at 02:22| 反復という名の漆塗り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする