2007年11月17日

えのもとみのるといふ人(4)。

2007年11月10日に、限界を突破するまで、勉強するということ。という題で、

見上げれば青い空を読んで感じたことを書いた。

kamiesu先生の、結局「心」が決めているのだは、その後、(3)まで続いている。
 

「解けるはずだ」「できなければいけない」あるいは「できて当然」と思う、「思い」っていったいどうしたら
得られるものなのだろう。

僕は煩いがなければいつものようにこのことを考えてきた。結論は持ち合わせていない。
コーチえのもとから、学んだ気持ちは、その後どこでも学んだことはなかった。

コーチえのもとの真似をすることもできない。
大切な人からある映画を紹介していただいた。

そこにはえのもと監督がいた。
これは真似することが塾では難しいかもしれない。

だけど、ぼくはえのもと監督を目標にしている。
もうずっとそれは変わらない。

えのもと監督の運転するマイクロバスはぼくにとって家族だったと思う。
あのバスに乗っていた子供はみんな必死に勉強もした。
テニスを愛した。

posted by ヒカリ at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月09日

えのもとみのるといふひと(3)。

ヒカリの授業単位は週1回通塾・120分の個別対応型授業だ。

なぜ週1(や週2)か。塾に依存せず自分でやるため。
塾は勉強のコーチ。一緒にやらない。指示と確認だけだ。

なぜ120分か。子供が考える時間をとるため。演習や暗記の時間もある。
コーチが確認するのに時間がかかるため。
やみくもに進まず身につけながらすすめる。
思考には時間が必要だ。

独学式なので、塾で全部1から10まで何でも教えてもらおうという子には向かないだろう。
独学式なので、ノルマをこなさない子には向かないだろう。
独学式なので、目標を持たない子には向かないだろう。
独学式なので、質問をつくらずに塾にくる子には向かないだろう。
独学式なので、参考書や問題集を大切にしない子には向かないだろう。
独学式なので、確認テストの準備をしてこられない子には向かないだろう。
独学式なので、言ったことしかやってこない子には向かないだろう。
独学式なので、一人で考えようとしない子には向かないだろう。
独学式なので、難問を面倒くさがる子には向かないだろう。
独学式なので、考える前にききたがる人には向かないだろう。
独学式なので、言われるまで動かない子には向かないだろう。

独学式だが、言ったことを守って独学を身につけてくれたら、必ず結果につながる。

なんとも過ごしにくい塾があったものだ。
テストの結果は1回で出さなければならない。
結果が出ないのなら、やり方が間違っているのかもしれない。
言ったことができていないのかもしれない。
結果が出ないのなら、なぜ出ないのか考えなければならない。

覚悟を決めて勉強しないとならない。
目標を実現するための勉強をしなければならない。

すべてはテスト結果で判断するべきだし、されるべきだ。
模試の数字があがらないのならば塾は辞めないといけなくなる。
塾をやめたくないのであれば点数を上げるしかない。
塾とはそういうところだ。
スコアプレゼンターが塾だというのなら、スコアが上がらない場合には通っていたのは塾ではなかったことになる。

塾に通うなら点数を上げるしかない。
塾とはそういうところだ。
いい加減な気持ちで塾に通うつもりなら、できるだけすぐにやめた方がよい。
お金がもったいない、時間がもったいない、コストがもったいない。

「点数を上げるか、去るか」
マッキンゼーではないが、


UP OR OUT!




現コーチの僕は塾には一度も通ったことはない。
塾に行くお金はうちにはなかった。
もっと正確には塾に行く時間もなかった。魂をこめてテニスをさせられていたので、時間もなかった。
幸運なことに鬼コーチ(コーチ・カーター並の名コーチ)についてテニスができた。
しかもその部活は無料だった。
僕はテニスの優勝を本気で目指していた。
塾に行く時間があったら、公園の公衆トイレの壁に向かって、壁打ちをしていただろう。

けれど塾に行っている子に情報はよくもらった。
本はよくかしてもらった。プリントもただでコピーさせてもらっていた。
立ち読みもよくした。
力が変わらない場合、成績のよい子を監督は1軍で使った。
試合に出たかったので勉強も少しの時間、ただし本気でやっていた。

塾ってどんなところなんだろうといつも思っていた。
塾に行かないまま、高校に進んでいた。
僕のペアも塾に通うことなく鶴丸高校にきていた。
僕とペアは、ホモだと噂されていた。
いつも金魚のようにくっついていた。
いつも優勝のための一緒に練習をしていた。
かえるときもずっとテニスの話だけをした。
心の中にはいつもえのもと監督がいた。
えのもと監督の課すであろう練習をした。
商業高校に練習試合にいった。
工業高校に練習試合にいった。
実業高校に練習試合にいった。
大学に練習試合に行った。
男女混合の公立高校でちまちまテニスをやっていても優勝は近づかない。
中学時代の部員のつてを頼っては強い学校にいって練習にまぜてもらった。
自分が弱小学校ではずかしくても強い学校に混ぜてもらった。



国体には出られても、なぜか、テニスのプロにはなれなかった。
なんのことはない。
ソフトテニスにはプロなんてなかったのだ。
それに気がついたのが、高校3年のときだった。
1日4時間の練習時間は、ぼくの集中力養成に多いに役立った。
バイトをしながらテニスをやることに比べたら受験勉強だけの生活は楽だった。
今振り返っても、中学のあのときが一番きつかった。
未だにあれよりハードなトレーニングをしたことがない。

「30歳になったらわかる、やれ」としか彼は言わなかった。
posted by ヒカリ at 15:31| Comment(0) | TrackBack(0) | コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月15日

えのもとみのるといふ人(2)。

ヒカリが中学時に所属していたテニスチームのくそ鬼監督は、本気で県大会優勝という目標を全部員に与えていた。夏休みのラジオ体操が始まるよりも前に全員集合させられ、太陽が沈んだ後まで練習を文字通り強制されて、テニスをさせられた。

練習には無理やり参加させられた(その証拠によくサボっては叩かれた)が、テニスしかやらない環境の中で目標だけは本気で持つようになっていた。いつしか県大会優勝を信じて練習をしていた。練習には受身形で参加していたにせよ、優勝するぞという意識は主体的なものになっていた。時には練習を自らしたいと思うようなときさえあったほど。大会の結果はいわずもがな。
大会という大会、連続でことごとく優勝した。正確には優勝させられた。
ひとたび優勝すると、いつしか練習も主体的にやりたいと思うようなときもたまにはあるようになっていた。

与えられた主体性であったが、卒業後、高校では自らテニスがしたいと思った。人生ではじめて心から何かをしたいと強く思うことができた。

目標を持つことができない人には、目標を与えるしかないのかもしれない。無理やりやらせるだけでは効果はでない。目標を伝え続けながらやらせるということ。これだ。
目標を持つというチャンスを、設定したい、そんな風に考えている。

目標を達成できない子は力が不足しているのではない。目標を本気で設定していないのだ。

ただ単に勉強を強制しても、やる気はなくなるばかり。やる気を引き出すために目標と行動をセットで強制したい、そんな風に考えることがある。

榎本監督のくちぐせ。
「やるならやれ、やらないならやるな、俺は半端はちっとも好かん。」

posted by ヒカリ at 04:55| Comment(4) | TrackBack(0) | コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

えのもとみのるといふ人(1)。

ぼくは塾には通ったことがない。
そんな僕にとって先生と言えば学校にいた。
学校の先生が一人、ぼくを変えた。
変わる前は性格も今よりいっそうねじ曲がったひねくれた子だった。
悪さばかりしていた(手癖がわるかったのです)。

榎本先生はスパルタだった。
子ども全員にほぼまちがいなく恐れられ憎まれるくらいの。
愛車ローレルがコートに近付いてくる音がすると僕はくらく怖い気分になった。

集合時間に1分でも遅刻したらケツバットと校庭3周(1周1キロ、でかい)。
練習の合間に水すらまともに飲ませてくれない。
ボレーに失敗すると罰がある(ラケットなしでボレー練習)。

夏の練習。朝六時〜昼十二時までの練習前半で水休憩は大体一回だけ。
まず朝六時から裸(あ、上半身ね)でコートを走る。
あっちのほがらかでのんびりとしたラジオ体操のおじいちゃんたちに比べ、こっちのコートは地獄に感じる。
ラジオ体操だけしてかえりたいよーと朝から憂鬱だ。

昼休みは疲れすぎて食事がとれず水分だけ補給するのがせいいっぱい。あまり食べられない。
35分の休憩があっという間だ。
練習はボールがみえなくなる夜七時か八時まで続いた。
「つかれはてたときのスィング、これには無駄がない。」と言われ信じこまされた。
疲れて動けなくなってからが一番の練習らしい。

全員がうまくなり、大会でまけるわけもなかった。
うまくなくても鍛えたいものはレギュラーとして団体戦に混ぜられた。
一番手、二番手はまけるべくもないから三番手には誰を入れても勝ち進むのだ。
ぼくは下手でも三番手だった。
性根がまがっていたからだろう。

「おまえは悪さはする、体力はない、テニスは下手、家庭はない」
「だからテニスをしなさい」
「三十になればわかる」

そんなことを一回、にらまれながら言われ、いやいや一軍練習をさせられた。
ボールを顔面にぶつけられ眼鏡の鼻あてが鼻の頭をさす。


おかげでテニスのない時間は勉強する気になった。
テニスに比べたら勉強は快楽だった。
一日一時間でも異様に集中できるようになっていた。
そのときは気付かなかったが部員はみなテストの成績もよかった。


そしてたったひとつだけやりきったことがある。
テニスだ。
練習時間に比例して無類の強さを手に入れた。
いつしかチーム内実力の3番手、県内でも3位。
自信を手に入れた。
体力のない僕でも県で優勝できる。
国体に出場できる。
榎元先生がいたから今の自分がある。

僕はそんな中学の頃の部活みたいな塾に憧れている。
材料は何だって構わない。
テニスでも国語でも算数でも英語でも何でも同じだ。
「お前は××だ。だから○○をしなさい」と僕も言いたい。
なかなか実現できないでいるが。

posted by ヒカリ at 04:46| Comment(0) | TrackBack(0) | コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする