2010年09月12日

卒業の日まで

コーチ・えのもとは365かける2回、ぼくらにテニスで教え、中2の終わり、転校で突然いなくなった。

盆も正月も雨の日も晴れの日も一緒にいたのに、たかだか転校で2度と会わなくなるだなんて。

コーチ・えのもとの転勤がなかったとしても国体までか卒業までで終わりだっただろうけれど。


30になればわかるからやりなさい!

毎日のように説教し続けた彼の言葉が今でも色々のときにヴォクに話しかけてくる。
あのときの言葉のまま、自分だけベンチに座りぼくらは30分立ちどおしで。アイモカワラズ暗闇から低い声で一方的にはなしかけてくる。

ああ、説教していた意味はそういうことだったか。30になっても35になっても説教を続けるためだったのか。

説教はボールがみえなくなると毎日あった。最高に無駄な時間だとばかり思っていたのだが。
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2009年09月16日

コーチ・えのもと

コーチ・えのもとの運転するマイクロバスはレンタカーだった。運転中に彼がなにかの話をするようなことはめったになく、行き先すらわからないことがあった。ぼくは体力を温存しておかないと身体がもたないので大体寝ていた。
ぼくらはそのバスにまだ暗いうちから乗り込んで、9時か10時に練習試合の相手の学校に到着した。練習試合の相手は県大会ベスト4以上の強いところに限られていた。

練習試合から学校に戻るバスの中では今度は疲れ果ててほとんどみんながまた眠っていた。

学校に戻った次の週からは相手チームの優れた打法を練習に取り入れた。

ラケットを縦に使うロブのうまい選手がいれば、その技を全員で練習した。
ライジングショットのうまい選手がいれば、その技を全員で練習した。

相手を研究する方法として、相手ができる打ち方は全部できるようにしておこうという訳のわからぬ練習方法だった。今思えば結局練習のナカミなんてどうでもよかったんじゃないか。

練習量で負けているわけがないことを全員一致でわかっていた。だから試合で負けるわけがなかった。

万一技術に差がなかったにせよ、声の大きさと気合いで負けていなかったので(声が小さければ休憩タイムで平手打ちをくらうだけ(笑))、大体の試合には負けなかった。たまに2番手か3番手が負けても団体として負けることは一度もなかった。

コーチえのもとはいつも練習の最後に話をしてくれた。
大体いつも同じ話だった。

優勝するために練習をやれ!半端にやるな。要するにそういう話の繰り返しだった。


中学からテニスをはじめた素人ばかりの集団だったが、2年生も1年生も理由がよくわからぬままに県大会で優勝するチームになっていた。

足も遅く、身体がもやしのヴォクが県大会で優勝?!
自分が一番驚いた。ヴォクはなにせテニスがうまくないことはわかっていた。吹奏楽をやめて5月にノコノコ見学にきたヴォクが秋の大会で優勝?
練習するだけで優勝できることにひどく驚いた。


きっとぼくらは他のチームよりほんの少しだけ練習時間が長く、ほんの少しだけたくさんのボールを叩いていたのだろう。ほんの少しだけたくさん。
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2008年06月23日

えのもとみのるといふひと(10)

コーチ榎本は、テニス経験がなかったことは前回書いた。コーチ榎本はテニスを独学で本に学んでいた。軟式テニスの本を読んで何かを発見してはそれを僕たちに試した。一本足でケンケンしながらラケットを振らせたり(体重の重心移動の練習と言われた)、スマッシュするかわりに利き腕と反対の手でボールをキャッチさせたり(ボールの真下に入る練習と言われた)、スマッシュするかわりにボールにヘディングさせたりした(ボールを前にとらえる練習と言われた)。僕が一番怖かったのが、ネット前にたたされて監督が1メートルくらいのところから僕めがけてボールをたたきつけるのを壁のようにボレーで返す練習。ボールに攻撃されるめがねがぼくの鼻をつきさし、いたくてボール恐怖症になった。効果あるのか?とみんな帰り道には文句を言いながら帰ったので、部員はすこぶる仲がよかった。榎本監督を憎んでいたので、共通の(仮想の)敵が出来て部員がみんな仲良くなるようにコーチは考えたのだと思う。

コーチ榎本が他のどこの中学のテニス監督より徹底していたのは練習時間の長さであった。夏休みは朝6時に校庭でのランニング開始、ラジオ体操のほがらかな音にあわせてまったり身体を動かす子供や老人をうらめしくおもいながら上半身裸でグランドを走った。途中にダッシュが入るたびに息がぜいぜい言ってもう水を飲むこと以外頭に入らなくなる。コートに入る前に身体はグダグダになるのだが、そこでも水は飲めず、その後、ボールを使った練習が始まる。「疲れきったときのスイングには無駄な力が入らない、それを身体におぼえこませろ!」というのが口癖で、耳にタコができた。途中、日射病を避けるため坊主頭に水をぶっかけることが許されていたので部員達は隠れてそこで水を飲んでいた。今思えば榎本監督はきづいていただろうが水は飲むなよといつも言っていた。実際、大会の時になればわかることだが、水を飲んでしまうと一気に身体の動きが重くなる。疲れも回りやすくなる。水を飲まない身体づくりを彼はさせたかったようだ。練習は昼食休憩をはさんでそのまま夜7時近くまで集合練習が毎日あった(その後日が沈む瞬間までサーブレシーブの自主トレ)。休憩時はポカリスエットなんかを飲むのが精一杯で、疲れ果てて弁当もパンも口になかなか入らなかった。盆休みなどというものはなかった。そういえば塾に行く部員は1人もいなかった。時間があわないからいけなかったのだ。僕の場合はお金もなかったが。

コーチ榎本はそういう練習をさせ、才能も何もない偶然集まった僕たちをAチーム県大会優秀、Bチーム県大会準優勝というとんでもない集団に鍛え上げた。同校対決が県大会でできるなんて思っても見なかった。「30歳になったらわかるから気張れ」とかなんとか言われ続けて練習し続けたが、30歳をゆうにこえてからも、あの練習は何だったのだろうと考えさせられていた。

榎本監督が家庭も顧みず、365日練習をさせてまで、僕たちに体験させたかったことが、でも、今頃になって、だんだんとわかってくるようになった。「本気でやれば実現できる」そういうことなんじゃないかな。体力測定でも平均以下、走らせても特に速くもない。それでも県大会で優勝できる。ボールを100本たたいても全部相手のコートに鋭く返すことができるのは、繰り返しくりかえし、練習し、身体が覚えているから。練習した人には勝てない。才能がありそうな人間がそろったチームに対しても身体的には平均的な僕たちのチームが勝つことが出来たのは、練習量が勝っていて、ミスをしない。相手の力を利用して相手が強ければ強いほど速い球を返すことができる。それに練習量で負けているわけがないという確固たる自信(これだけは本当に全員が確信していた)があったので、試合でも根性もあった。相手チームより声も大きい、相手チームをにらみつける。色の黒さでまず勝っていた(大体強いチームほど真っ黒に日焼けしていた)。

あの頃からだ。与えられた条件で勝つことの喜びを僕たちは知り、努力は才能に勝ることを僕たちは実感したのは。大会の数と同じ数のメダルを取り続けることができると僕たちは信じるようになっていたし、実際にとった。金・銀のメダルが一番の宝物だった。

 

才能とか、能力とか、方法とかじゃないんだよね。独学で見よう見まねでテニスをはじめた集団が強くなったりできるのは努力なんだよね、といつしか僕たちは思っていた。

  「結局、量をやった人には勝てない」とか、僕がよくこのブログにも書いたりしているのにはコーチ榎本からのそんな教えが身体にしみついているというのがあるのだ。量をやっていると無駄がだんだんそぎ落とされていく。質から量は生まれないが、量は質をも生み出す。走ってはしって、打ってうって、叩いてたたいてとしているうちに、シンプルで美しいフォームに行き着くようになるものだ。ただきれいなフォームを見て真似ればうまくなるというものでもない。体格差だってある、身長差だってある、身体のつくりもみんな違う、自分にあったフォームをつくるとそれがまわりからは独創的で個性的にみえるものなんじゃないかな。そんなことを考えながら机に向かうヴォクなのです、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

コーチ・えのもと









ほなね。

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2008年01月05日

コーチ・イチロー

集中力の話の続きとして(「独学中毒の会」略してせるふ会員のshinnさんへの御礼として)。

(ベンチからフィールドに向かう際の)階段を上るはじめの一歩を左足にしてヒットを打ったら、次の打席も必ず左足から。打てなかったら、次の打席は右足に変える。そういうことを含めたさまざまの努力をして、記録を出してきた・・・・・・と。

な?やっぱりな?バットを地面に置かないとか、昼ご飯はカレーしかたべないとか、いろいろのイチロー伝説があるけど、やっぱり(いちろーなひと、(注)みかみ先生も一桜と書いていちろうです))いちりゅーの人は、常に「何か」を求めて工夫と努力をするんだよなぁ。

ぼくも、いい教材を見つけたらためすし、変わった教材があったらつかうし、良かったら徹底的に使い込むし、悪くなったら(もっといいのが出たら)そっちもためすし・・・、なかったらつくっていくし、定期テストや入試が終わったら終わる毎に編集していくし・・・、

世界は違うけど、いちりゅー同士、通じるところがあるんだね。うんうん(弟子に諭すように静かにうなずきながら)。やっぱ打席で集中するためにはその前からして違うんだよね。準備で決まるんだよね。授業が役に立つか否かも子供の普段の準備次第だしね。

って、NHKでやってたプロフェッショナルのビデオを東京のヒカリっ子からおくってもらったので早速見て、独り占めしたくないから早速紹介した(鹿児島のしんたさんも書いておられた)。

以上、たまには違うコーチより。
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2007年11月17日

えのもとみのるといふ人(4)。

2007年11月10日に、限界を突破するまで、勉強するということ。という題で、

見上げれば青い空を読んで感じたことを書いた。

kamiesu先生の、結局「心」が決めているのだは、その後、(3)まで続いている。
 

「解けるはずだ」「できなければいけない」あるいは「できて当然」と思う、「思い」っていったいどうしたら
得られるものなのだろう。

僕は煩いがなければいつものようにこのことを考えてきた。結論は持ち合わせていない。
コーチえのもとから、学んだ気持ちは、その後どこでも学んだことはなかった。

コーチえのもとの真似をすることもできない。
大切な人からある映画を紹介していただいた。

そこにはえのもと監督がいた。
これは真似することが塾では難しいかもしれない。

だけど、ぼくはえのもと監督を目標にしている。
もうずっとそれは変わらない。

えのもと監督の運転するマイクロバスはぼくにとって家族だったと思う。
あのバスに乗っていた子供はみんな必死に勉強もした。
テニスを愛した。

posted by 花波 ヒカリ at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月09日

えのもとみのるといふひと(3)。

ヒカリの授業単位は週1回通塾・120分の個別対応型授業だ。

なぜ週1(や週2)か。塾に依存せず自分でやるため。
塾は勉強のコーチ。一緒にやらない。指示と確認だけだ。

なぜ120分か。子供が考える時間をとるため。演習や暗記の時間もある。
コーチが確認するのに時間がかかるため。
やみくもに進まず身につけながらすすめる。
思考には時間が必要だ。

独学式なので、塾で全部1から10まで何でも教えてもらおうという子には向かないだろう。
独学式なので、ノルマをこなさない子には向かないだろう。
独学式なので、目標を持たない子には向かないだろう。
独学式なので、質問をつくらずに塾にくる子には向かないだろう。
独学式なので、参考書や問題集を大切にしない子には向かないだろう。
独学式なので、確認テストの準備をしてこられない子には向かないだろう。
独学式なので、言ったことしかやってこない子には向かないだろう。
独学式なので、一人で考えようとしない子には向かないだろう。
独学式なので、難問を面倒くさがる子には向かないだろう。
独学式なので、考える前にききたがる人には向かないだろう。
独学式なので、言われるまで動かない子には向かないだろう。

独学式だが、言ったことを守って独学を身につけてくれたら、必ず結果につながる。

なんとも過ごしにくい塾があったものだ。
テストの結果は1回で出さなければならない。
結果が出ないのなら、やり方が間違っているのかもしれない。
言ったことができていないのかもしれない。
結果が出ないのなら、なぜ出ないのか考えなければならない。

覚悟を決めて勉強しないとならない。
目標を実現するための勉強をしなければならない。

すべてはテスト結果で判断するべきだし、されるべきだ。
模試の数字があがらないのならば塾は辞めないといけなくなる。
塾をやめたくないのであれば点数を上げるしかない。
塾とはそういうところだ。
スコアプレゼンターが塾だというのなら、スコアが上がらない場合には通っていたのは塾ではなかったことになる。

塾に通うなら点数を上げるしかない。
塾とはそういうところだ。
いい加減な気持ちで塾に通うつもりなら、できるだけすぐにやめた方がよい。
お金がもったいない、時間がもったいない、コストがもったいない。

「点数を上げるか、去るか」
マッキンゼーではないが、


UP OR OUT!




現コーチの僕は塾には一度も通ったことはない。
塾に行くお金はうちにはなかった。
もっと正確には塾に行く時間もなかった。魂をこめてテニスをさせられていたので、時間もなかった。
幸運なことに鬼コーチ(コーチ・カーター並の名コーチ)についてテニスができた。
しかもその部活は無料だった。
僕はテニスの優勝を本気で目指していた。
塾に行く時間があったら、公園の公衆トイレの壁に向かって、壁打ちをしていただろう。

けれど塾に行っている子に情報はよくもらった。
本はよくかしてもらった。プリントもただでコピーさせてもらっていた。
立ち読みもよくした。
力が変わらない場合、成績のよい子を監督は1軍で使った。
試合に出たかったので勉強も少しの時間、ただし本気でやっていた。

塾ってどんなところなんだろうといつも思っていた。
塾に行かないまま、高校に進んでいた。
僕のペアも塾に通うことなく鶴丸高校にきていた。
僕とペアは、ホモだと噂されていた。
いつも金魚のようにくっついていた。
いつも優勝のための一緒に練習をしていた。
かえるときもずっとテニスの話だけをした。
心の中にはいつもえのもと監督がいた。
えのもと監督の課すであろう練習をした。
商業高校に練習試合にいった。
工業高校に練習試合にいった。
実業高校に練習試合にいった。
大学に練習試合に行った。
男女混合の公立高校でちまちまテニスをやっていても優勝は近づかない。
中学時代の部員のつてを頼っては強い学校にいって練習にまぜてもらった。
自分が弱小学校ではずかしくても強い学校に混ぜてもらった。



国体には出られても、なぜか、テニスのプロにはなれなかった。
なんのことはない。
ソフトテニスにはプロなんてなかったのだ。
それに気がついたのが、高校3年のときだった。
1日4時間の練習時間は、ぼくの集中力養成に多いに役立った。
バイトをしながらテニスをやることに比べたら受験勉強だけの生活は楽だった。
今振り返っても、中学のあのときが一番きつかった。
未だにあれよりハードなトレーニングをしたことがない。

「30歳になったらわかる、やれ」としか彼は言わなかった。
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2007年10月15日

えのもとみのるといふ人(2)。

ヒカリが中学時に所属していたテニスチームのくそ鬼監督は、本気で県大会優勝という目標を全部員に与えていた。夏休みのラジオ体操が始まるよりも前に全員集合させられ、太陽が沈んだ後まで練習を文字通り強制されて、テニスをさせられた。

練習には無理やり参加させられた(その証拠によくサボっては叩かれた)が、テニスしかやらない環境の中で目標だけは本気で持つようになっていた。いつしか県大会優勝を信じて練習をしていた。練習には受身形で参加していたにせよ、優勝するぞという意識は主体的なものになっていた。時には練習を自らしたいと思うようなときさえあったほど。大会の結果はいわずもがな。
大会という大会、連続でことごとく優勝した。正確には優勝させられた。
ひとたび優勝すると、いつしか練習も主体的にやりたいと思うようなときもたまにはあるようになっていた。

与えられた主体性であったが、卒業後、高校では自らテニスがしたいと思った。人生ではじめて心から何かをしたいと強く思うことができた。

目標を持つことができない人には、目標を与えるしかないのかもしれない。無理やりやらせるだけでは効果はでない。目標を伝え続けながらやらせるということ。これだ。
目標を持つというチャンスを、設定したい、そんな風に考えている。

目標を達成できない子は力が不足しているのではない。目標を本気で設定していないのだ。

ただ単に勉強を強制しても、やる気はなくなるばかり。やる気を引き出すために目標と行動をセットで強制したい、そんな風に考えることがある。

榎本監督のくちぐせ。
「やるならやれ、やらないならやるな、俺は半端はちっとも好かん。」

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えのもとみのるといふ人(1)。

ぼくは塾には通ったことがない。
そんな僕にとって先生と言えば学校にいた。
学校の先生が一人、ぼくを変えた。
変わる前は性格も今よりいっそうねじ曲がったひねくれた子だった。
悪さばかりしていた(手癖がわるかったのです)。

榎本先生はスパルタだった。
子ども全員にほぼまちがいなく恐れられ憎まれるくらいの。
愛車ローレルがコートに近付いてくる音がすると僕はくらく怖い気分になった。

集合時間に1分でも遅刻したらケツバットと校庭3周(1周1キロ、でかい)。
練習の合間に水すらまともに飲ませてくれない。
ボレーに失敗すると罰がある(ラケットなしでボレー練習)。

夏の練習。朝六時〜昼十二時までの練習前半で水休憩は大体一回だけ。
まず朝六時から裸(あ、上半身ね)でコートを走る。
あっちのほがらかでのんびりとしたラジオ体操のおじいちゃんたちに比べ、こっちのコートは地獄に感じる。
ラジオ体操だけしてかえりたいよーと朝から憂鬱だ。

昼休みは疲れすぎて食事がとれず水分だけ補給するのがせいいっぱい。あまり食べられない。
35分の休憩があっという間だ。
練習はボールがみえなくなる夜七時か八時まで続いた。
「つかれはてたときのスィング、これには無駄がない。」と言われ信じこまされた。
疲れて動けなくなってからが一番の練習らしい。

全員がうまくなり、大会でまけるわけもなかった。
うまくなくても鍛えたいものはレギュラーとして団体戦に混ぜられた。
一番手、二番手はまけるべくもないから三番手には誰を入れても勝ち進むのだ。
ぼくは下手でも三番手だった。
性根がまがっていたからだろう。

「おまえは悪さはする、体力はない、テニスは下手、家庭はない」
「だからテニスをしなさい」
「三十になればわかる」

そんなことを一回、にらまれながら言われ、いやいや一軍練習をさせられた。
ボールを顔面にぶつけられ眼鏡の鼻あてが鼻の頭をさす。


おかげでテニスのない時間は勉強する気になった。
テニスに比べたら勉強は快楽だった。
一日一時間でも異様に集中できるようになっていた。
そのときは気付かなかったが部員はみなテストの成績もよかった。


そしてたったひとつだけやりきったことがある。
テニスだ。
練習時間に比例して無類の強さを手に入れた。
いつしかチーム内実力の3番手、県内でも3位。
自信を手に入れた。
体力のない僕でも県で優勝できる。
国体に出場できる。
榎元先生がいたから今の自分がある。

僕はそんな中学の頃の部活みたいな塾に憧れている。
材料は何だって構わない。
テニスでも国語でも算数でも英語でも何でも同じだ。
「お前は××だ。だから○○をしなさい」と僕も言いたい。
なかなか実現できないでいるが。

posted by 花波 ヒカリ at 04:46| Comment(0) | TrackBack(0) | コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする