なぜセルフラーニングなのか。ひみつを書く。シリーズ(1)は、「セルフラーニングはそもそも可能なのか?」というFAQ(よくある質問)に直球で回答。
独学が難しいとされがちな科目が難解に見える原因の一つに何が基礎で何が基礎でないのかがごちゃごちゃになっているというのがある。
ここで学習にとっての基礎とは、入門的なことという方の意味ではなく「他から導くことのできないこと」である。原理と原則といえばいささか大げさだが、語感はむしろかなり近くなるだろう。独学できる参考書には多くの現象をあまりにシンプルな原理で説明するくらいの流れが存在する。
たとえば「電流の周りにはどうして右回りの磁界が発生するのだろうか」という疑問に対して人類はいまだ答えを持たない。それは基礎的な法則として受け入れた上で電磁気学が築かれているのである。
しかし初学者はそこを疑問に思い立ち止まるかもしれない。その疑問は自由な人間の不思議を不思議と思うしかるべき姿である。
同様にフレミング左手の法則で有名な電磁力についても、その大きさは経験的に知られているだけでありそれ以上遡ろうにも人類は答えを持たないのである。
そこを勘違いしてはいけない。
「私には電磁力がわからないなー」なんて勘違いする人は、それはそうなっているだけで、そこより前に理由をさかのぼることはできないことに気づいていない。
「わかる/わからない」の課題なのではなく電磁力の大きさは「知っている/知らない」という枠組みでとらえなければいけないだけなのである。そして後者は、はじめは無の心で「覚えてみる」ということが学習の準備段階では必要なのだ。恐れずに暗記することだ。そうすれば、それが水となって流れの川の一部がはじめて理解できるようになる。理解が進めば、納得したくなってくる。好循環が暗記からはじまっている。
もう一度言おう。「わかる/わからない」の課題なのではなく電磁力の大きさのように「知っている/知らない」という枠組みでとらえなければいけなのものが存在しているのである。そこを区別していないでなんでもかんでもわからないと勉強する気にならない?って、そういう勘違いが世の中には溢れている。
だからこそ、難しい科目(と勘違いされやすい科目)こそ、基礎と、基礎から導かれることとの区別をつける必要を理解し、納得しながら、会得するべく修練したいものだ。
もっとわかりやすく例を挙げる。
1、たとえば運動方程式 F=ma は経験則(経験から知られること)であって他から導くことはできない。
2、他にたとえば、速度=距離/時間(距離÷時間)は定義式(人間が決めたルール)であって他から導くことはできない。
3、逆にたとえば、オームの法則V=RIは上記の経験則や定義式から導くことのできる式である。
この3者を区別することが初学者にとって重要なことなのだ。
とくに1、2、を無意識に3だと勘違いし科目がわからなくなる印象を受けてしまいがちである。
他に、たとえば、中学1年生の理科ではじめて「ニュートン」と読む力の単位 N が出てくる。
Nのために、あえて書こう。
質量を表す kg という単位が別にあるのに中学1年の理科以降はどうして N の方をも使うのか。いったい kg と N とはどんな関係にあるのか(1 N = 1 kg • m/sec^2)。おそろしいかな、物理をやるのに[kg]と[N]の区別をあいまいなままにしているケースが見られる。
説明すると、下記のようになる。
かんたんには、
ニュートンは組立単位で、基本単位で書き表すと N = kg・m/s2 (キログラムメートル毎秒毎秒)である。
Nの式はいいとしてその意味するところは何か。 そしてガリレオやニュートンが N をいかにして発見したのか。 それでも N ではなく kg の方が標準的に使われるのはなぜなのか(MKS単位系)。
kg が使われるのは慣習的な理由ではない。 理科が好きな人の多くが意識しているようなきちんとした理由がもちろんある。 独学者にとって悲しいことに、教科書にはそういう基礎(他から導かれるものか否か)に関しての説明が多くない。
学習法として先に暗記をしてから理由はあとからつけるというやり方が存在する。しかしあえて Nのためにもヴォクは言いたい。
もし理由がわかるのなら先に理由を知ってから新しい知識を手に入れた方が楽しいではないか。そしてどこからが理由のない行き止まりとして知られていることなのか知ることができたらうれしいではないか。
どういう原理から新しい方の知識が導かれたのかを知ること、それは簡単には導出などと呼ばれる、は勉強の最大の喜びの1つである。
人間は誰だって宇宙のひみつを知りたいし世界の不思議を発見したいのだ。
話を戻すが N ではなく kg という単位を使うのにはわけがある。
そういう基礎からこそ学習できるように、書かれている受験参考書は少数ながら存在する。
だから、参考書は探してでも入手して読むべきだし、理由がわからないことは書店や図書館でいろんな書物を開いて調べる必要があるのだ。(非常に残念な現実として国の検定教科書は薄く、原理原則の記述は少なく、暗記に役立つ有名な語呂合わせなども掲載されていない。したがって、教科書は入門者がはじめに頼るべき書物ではない。教科書は単に入試範囲を示すものと位置づけざるを得ない。大学で習うべきことは大学に回すのが日本の検定教科書のルールなので公式は天下り的に理由なしに示さざるを得ないわけである。だから日本の大部分の小中学生は球の表面積の公式も球の体積の公式も理由なしに暗記している。もっとはっきり言おう。なぜ英語の検定教科書には文法解説もなければ和訳もないのか。中高一貫校が採択しているTreasureには文法解説がたくさんある。なぜ英語の検定教科書にはCDが付いていないのか。なぜ英語の検定教科書には日本語が少ないのか、発話と英作文が英語学習の基本なのに日本語訳がなければ勉強しづらい。CDとガイドを書店で揃えるのはいいが金のない子どもが不利になるのは義務教育としてはよいが教育を受ける権利になっていない。)
さて、そのような「基礎」から書かれた本自体は探せばたくさんあるのだがいくつかの(独学が困難であると誤って呼ばれがちな)科目で、書名を具体的に挙げてみたい。
物理 (入門レベルでは、1、『前田の物理』(『受験の物理』も内容とレベルはほぼ同じだが、「前田の物理四訂版」か「前田の物理五訂版」の方が少しだけ詳しい。かたや前田の『標準問題精講』はハイレベル問題を中心に収録。)初学者向けのいろんな本、秀和システムのいろんな本、中経出版の黄色い本など)→『高校数学でわかるマクスウェル方程式』(マクスウェル方程式を見れば、クーロン力が1/r^2に比例する意味がすっきりわかる。高校物理のはじめのはじめに習うクーロン力の公式が理由不明の丸暗記から始まる(@物理の検定教科書の場合)のと、納得から始まるのとでその後の学習の楽しさがどれだけ違ってくることか)などふしぎ、ひみつを解き明かす面白い本→その後、河合出版『理論物理への道標 上下』(杉山 忠男)、、ゴール図書として2、駿台文庫 『必修物理 上下』(坂間 勇・谷 藤祐・山本 義隆)(※)、『必修物理問題演習』(※)、『坂間の物理』と駿台文庫 『新・物理入門 増補改訂版』(E=mc^2が導出されている)、『新・物理入門 問題演習 改訂版』(山本 義隆)など。そしてすべてのつまっている「親切な物理」や「物理―高校課程(原島鮮著)」や「くわしい物理の新研究」(高校物理の3種の神参)。花波ヒカリ新幹線SL推奨は、為近「ルール」。
化学 (初学者向けの色々な本、中経出版の黄色い本(以下「黄色い本」)など)→『化学のドレミファ〈1〉反応式がわかるまで』→『暗記しないで化学入門』、『イオンが好きになる本』などふしぎ、ひみつを解き明かす本→その後、ゴール図書として駿台文庫『新理系の化学』(とくに下巻)、それを補うものとして「原点からの化学」 化学の理論/化学の計算/無機化学/有機化学/化学の発想法(石川 正明) , 貴重な調べる図書として三省堂 『化学の新研究-理系大学受験』と三省堂『化学の新演習 化学基礎収録』(卜部 吉庸)など。また、3、『スグわかる化学反応の系統学習』は脱暗記の良質な独学図書。酸化還元も中和も紙1枚の原理と知識だけで全体を見渡すだけの説明を与えており、化学反応のひみつをものの見事に解明している。(光塾必修図書指定) 4、『最短コース化学の総括整理』はおもしろい。高校地学の(必修図書)『くわしい地学の新研究』と同じく個性的。はな光新幹線SL推奨は、「原点からの化学」。
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古文 (初学者向けのいろんな本、黄色い本など)→その後、駿台文庫 『古文解釈の方法』と『古文解釈の実践』と『古文解釈の完成』(関谷 浩)など。
数学 (初学者向けのいろんな本、秀和システムのいろんな本、中経の黄色い本ほかの印刷教材)または、長岡先生の授業が聞ける高校数学の教科書数学 (考える大人の学び直しシリーズ、音声教材)→5、『大学への数学』(研文書院の黒大数 ※)や『大学への微分積分』(同 ※)、『理系数学の原点』、『大学への数学 ニューアプローチ』(同 ※)など基礎のキソ、公式の意味がわかる参考書や『数学の計算革命』(駿台※)などの計算技術と計算スピードを養成する問題集→その後、啓林館 『Focus Gold』 数学3冊または青チャートなど。Focus Gold数学は大宮高校の副教材にも指定されている。チャートでなくこの本フォーカスゴールドを副教材に決めてしまった大宮高校の数学科には驚いた。6、『大学への数学 1対1対応の演習』(東京出版) (光塾必修図書) と7、『解法の探求』シリーズ(同)、そして定番(必修図書)『スタンダード演習』(東京出版)。
上に番号付きで挙げた16冊あまり(の印刷教材)はあまりに優れており、その意味で伝統的な参考書である。((※)は絶版のため若干入手が困難。光塾には先輩達が寄贈してくださったものが何冊かずつあり、無料貸出可能。) 版が違うだけでも欲しくなる(よくばりかっ!)ような名著中の名著。
本当に優れた参考書は30年や50年くらいで価値が減るようなことはいささかもない。(価格は希少な分だけ高騰しているわけだが、本の内容自体が異彩を放っている。)
ミスチルの初期の作品が、いろんなアーティストの最近の楽曲と比べてもひけをとらぬくらい新鮮に聞こえるのと似ていると言えば言えようか。
話は、物理化学古文数学英語だけに限らない。その他ありとある受験教科、科目の「参考書」があり、基礎の紹介も、知識のつながりも、仕組みや構造も、流れも、覚えるべき最低限のことも、ここまで覚えたら全部という上限のことも説明されている。そして練習できる「問題集」は5年程度では解き切れないくらい、良質の問題集が多すぎる冊数、出版されている。
「参考書」の中にはもはや秘伝の技術と呼べるようなものはひょっとしたら存在しないのではないかとさえ思われる。
そう思うほど思考法も技術も知識も経験も書物の中に親切に記されている。
参考書が充実している現代日本は独学の時代に入っている。
いや、ひょっとして秘伝の知識などはじめからどこにもなかったのかもしれない。
知識というのは気づきであり、人間は気づきを共有したいという欲求をもっている。
惑星の運動はこういうふうになっていたよとか、カスタネットの叩き方はこうやるとかっこいいよとか、あるいはもう世間話まで含めて人が気づかなかったようなことに気づいたら人に言いたくなるよな?
だから秘伝の知識なんてあったら逆にもったいない。
学問に関する限り、それはすぐに論文に書くなり参考書に書くなり、ブログに書くなり、アマゾンで販売するなり、Youtubeで述べるなり、共有したくなるはずだ。
だから公開のブログや日記やつぶやきやレビューが存在するのであり料理法でも勉強法でも職人さんの技術でも公開するには訳がある。
ましてや多くの世の人を幸せにする新知識や新発見なら所定の手続きをとって公表したくなるのが人間の常なのかもしれない。
受験参考書、それは受験制度の中で発展が加速した学参の一種。ときに基礎について秘伝の知識を書く度合いが過ぎて感動的なまでに学問的な書物。本棚に並べて眺めるもよし、本の香りをかぐもよし、電子的な端末に入れて読書するもよし、共通の読者と話に花を咲かせるもよし。会得してもっと先まで進むもよし。もちろん単に受験で成功するもよし。しかし受験参考書には受験で合格させる以上の気づきと知恵が書かれている。
受験参考書にそって学習する場合に唯一気をつけるべきことは筆者が覚えろと書いてあることは絶対に覚えるまでやるという点である。そもそも参考書は手を動かしたり頭の中で反芻したりしながら考え、読み、繰り返し、自然に丸ごと覚えてしまうくらいでなければ読む価値が半減してしまう。
『英文解釈教室』の伊藤師が後書きで述べたように、血肉化させてはじめて本を読んだと言えるのだ。血肉化とは会得のことを言うのであろう。
それにむけては修練あるばかりである。
すぐれた本がある。さらに、復習しやすいように電子書籍で読み返したり、音声で聴いたりすることも容易いように、端末が、電子情報が、進化している。
学習するための書物もツールも充実している現代日本において、差がつくことの一つ目はどの本を読むのかという点。せいぜい入門から極めるまで、1科目につき10冊から20冊くらいにまでに冊数を絞りこむ必要がある以上、学生や受験生はなんでもかんでも見つけ次第に読むわけにはいかない。(必要なスキルに日本語読解力はもちろん必要だが独学をするうちにそれは向上する。) 30冊を読むのもいいが、5冊を15周回した方が力がつくだろう。
はじめの1冊との出会い。はじめに0から8まで理解できるようならその後の学習進行がめっさスムーズになる。はじめの1冊との出会いは運命的だ。
また、辞書のように何でも説明してある参考書との出会いは、学習に深さを与えるだろう。
著者の血と汗の結晶たる参考書が学習者にとって最高に優れたものであるならば、科目の習得ペースが加速する。
最後は、学習者自身の根性。目の前に最高の書物があるというのにもしそれをやりこまないとしたらもったいないが、目標に到達するためどこまで練習するのかは個人的な根性の問題である。
かくして、受験勉強はいつだって自分との闘いである。必要な情報はすべて掌の中に収まっている。それを使い切るか捨てるのか、決めるのは自分だ。
と、そんなことをコートのライン際でえんえんと何時間かサーブの練習を1人で続けていた人(の根性)を見ながら思った。
サーブの練習もまた1人でできる。
きょうのおまけ
地学生物は知識の世界。物理化学は技術の世界。スキルが使えるまで手と頭を動かさないとわかるようにならない。できるようにならない。
ところで物体が斜面を下りる等加速度運動については中3の物理の範囲であるが、力の様子について詳しく記述している参考書はさほど多くない。しかし入試では理由も結果もわかっていなければ得点できないように出題される。
詳しい参考書を読むことが重要であるゆえんである。
次の図はかんたんな説明になっている。(たまたまO石中3年の理科の定期試験で出題されていたので解説を書いたときのコピーだ。)
絶対的な参考書が存在する。(逆に出版してすぐに絶対的な本になったFocus Goldのような参考書はすごい。今後10年、20年の新しいスタンダードとなる。独学時代をさらに加速させた。『フォーカス FOCUS Z数学』も楽しみでならない。)