2014年03月19日

表札が光らなくて

いつからだろう、太陽光で光る(はずの)光塾の表札が光らなくて名前がとんと見えない。

これでは光らない塾だ。

まあよろしい。

表札が光っても光らなくても中の電気が光っている教室があればいいではないか。

どうでもよい表札はさておき、光っている参考書の話も。
「わかりやすすぎる本は親切すぎてわかった気になるだけで不親切だ」などとよく聞くが、わからないよりはわかった方がおもしろいというのもあって、かんたんなことを難しく書く本よりは難しいことでもかんたんに説明している本が好き。

そういう本が好きなので子どもにもそういう本を紹介することが多い。

自学独学スキルがあがればあがるほど、どんな本を読めばいいのかさえわかれば自分でどんどん勉強ができるようになる。どんな本を選ぶかは重要でときに運命を変える。

物理がわからなくてきらいだった人がある参考書を読んで感銘を受け大学の理学部物理科に進んだこともあったし、英語が嫌いだったところに「英文解釈教室」を読んで高校の英語教師になった人がかつていた。

よい本には工夫がある。体系がある。やるべきことのTO DOが見える。よい問題集には到達点(と呼ばれるもの)がある。
いわく、「この本をマスターすれば本番で60点中50点はとれる」といった言い方がなされる。

プラン中の一人としてそういう情報は嫌いではないが実際に手にとって読み、鉛筆を持って解いてみるのが一番である。体系的といわれる本はどういう体系を示しているのか?
到達点が高いと言われる本にはどういう指導技術が発揮されているのか?

かくして読みたい参考書は増える一方で、買っても買っても読んでも読んでもまるでなくなるということがない。

アマゾンやオークションでは絶版の本でも破格の値段で入手できることがあるので毎日検索をして安い時があったら(ボヤッキーの)ポチッとなをするという一連のタスクがなかば趣味化しているのかもしれぬが買った本はもったいないからとりあえず1回は読むので趣味というばかりではないだろう。

読むために探しているのだから読む方が趣味であって安く探す方は趣味と呼びたくないに3000点。

春休み中も神田で新しい科目の参考書を昭和時代のものも含めて本棚一段分くらいの結構な数、入手した。
一息ついたらレビューも書きたいと思う。こんなことを趣味のようにしていて入試問題は全国30年分以上、棚に集まっている。研究のためかコレクションのためのコレクションなのか区別がつかぬ。

新しい科目とは、毎年一つずつ新しい科目の勉強をするのを年のテーマにしている。毎年とは言っても一度やったら東大京大の入試問題がスラスラ解けるようになるまでやめないのでひとつの科目を2年も3年も続けてやっていることも多い。「今年の科目」と言った方がいい。

今年は新しい科目をはじめることにした。塾生と一緒に学習しはじめた科目は高校一年生以来だったので新鮮。自分が高校一年生になったときの感覚を思い出しながら読み解きしている。

おもしろくて仕方がない。
独学といってもホームの本が体系的でかつわかりやすいので、本に学んでいるというのが正しい。

サブの本もホーム図書と合わせて読み比べするとおもしろいものがたくさんあり、サブがホームになることもある。

順番は問題ではない。
ヴォクの独学法は、単元だけ同じにしたまますきな順番にすきな本を読むというやり方が多い。いわゆる乱読のようなものか。
ただしホーム図書だけは最低10周くらいは読み返す。
比べ読みした上で、血肉化したい勝者の本はそれくらい読まないともったいない。

筆者が何年間も何十年もかけて書いた本だ。
せめて5周はせねば身につくもんも身につかねぇ。



posted by ヒカリ at 18:42| 特急ひかり新幹線 hikari | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする