2017年10月10日

何をいつやるかが標準化されてしまったいまどきに(4) , オシムの言葉

合格体験記などを読んでみればただちに次のことに気がつくだろう。
みなが同じような参考書をやっているなと。

具体的に書名を出すのはどうかとも思うが、書いてしまおう。
ここ足音(以前は「花の匂い」その前は「せるふすたでぃ☆ネット☆」というブログ名だった、足音は三代目なんです、ええ。はじめはミスチルの曲名じゃなかったんだね)でその書名のことは最低10回は書いたことがあるはずだ。
英語は受験教科として勉強をやる人が多いので国語社会理科数学以上に多くの人の共通部分が大きい。だから英語の参考書のひとつを例にとる。

話は『英文解釈教室』のことだ。教員免許をとるときに多くの方がやっていたことを聞いたことがある。教員が学生だった頃に自らがやった参考書ということもあるだろう。この本の英語の学習法、指導法に関して賛否両論あるということは結局この参考書の持つエネルギーがとてつもなくでかいということだ。ヴォク個人のことを言っても仕方がないが、少なくともヴォクは受験生である年齢までに24周以上正編(当時はハードカバーで入門編も基礎編もなかった、5冊以上同じ参考書を持っていてライン引く用、音読用、索引用、単語の意味書き込み用などと分けてつかっていた。1冊のほかはE君など先輩からのもらいものだった。)を読み、もちろん英文法教室、長文読解教室、テーマ別読解など入手できる参考書はすべて読み、「700選」は全文暗唱した。中でも英語構文詳解と英文法教室の2冊には他のどの参考書ともかぶらない項立て(体系や解釈には「比較」は扱いがなかった)があり、解釈教室と合わせての3部作(教室3部作ではなく!)がヴォクにとっては英語のすべての領域を覆う体系になっていた。

その後大学に入学以降も入門基礎ナビゲータービジュアルルールとパターンそして幻の・・・、あらゆる参考書はすぐに入手して繰り返し何度も読んだ。読むのがもったいないとまで思うような気持ちだった。できるだけゆっくり読もうとしてきた。正編以外を何回読んだのかと数え切ることは正編の他にはあまり印をしていないから無理だが、解釈教室にあったことば、「血肉化」するまでという著者のことばを実行することしか考えられなかった。

英文解釈教室は何度読んでも解説に深みがあって、学びがあるのだ。(あくまでヴォクの意見だが)伊藤和夫の解説文を読むこと自体が英語的思考法や論理的な思考法を学習、習得することにつながっている。なぜなら伊藤和夫の解説文が意図的にそのような思考法に基づいて厳密に書かれており、読めば文体の面や思考法にまで影響を及ぼしてくるからである。『新英文解釈体系』と違って陽の目を見た『英文解釈教室』は哲学書と変わらぬ緻密さで英文解釈の体系を見事に描き、受験英語は伊藤和夫英語以前以後にわかれると言われるまでの時代を築いた参考書である。ビートルズと伊藤和夫がヴォクにとっては同じ英語のヒーローだった。

はじめは英語を読むということがしたくて読んでいたはずが途中から伊藤和夫が何を伝えようとしているのかが知りたくて読むというような姿勢に変わってゆく。英文はもはや全文ヴォクの頭の中に暗記されており、読み進める際に解説の流れも予測しているし全く同じ解説をつけることさえできる。英文だけを読んで復習が可能な最終段階にきているはずが、いざ解説文を読み返すとそれでも何かしらの発見がまだあったりする。

後日講義を勉強のため映像を聴きに行ったことがあるが、参考書に声がついただけのようで驚きの連続だった。まさか話すときまでここまで計画的論理的厳密とは思いもよらなかったからだ。伊藤和夫の伝えたいことは参考書の中にすべて書かれていたので講義を受けてはじめて知ったということは数えるほどしかなかった。しかしその話しぶり自体から多くのことを感じ学んだ。他の教科も多くの先生の講義を受けた。自分の受験の前にそのような講義を受けたらよかったのではないかと思われそうだが、そうでもない。独学してみないと独学のよさがわからないという面は大きい。独学(と言っても本を読んで勉強するだけだが)には独学のよさがあり、コーチにつくのにはそのよさがあり、講義を受けるのにはそれのよさがある。そのうちのどれかでなければならないというものではないしそれらの複合体の中に自分の勉強、自分の練習があってもいい。

書評を書いているのではなかった。
そう、コースとして、伊藤和夫の参考書をやる、というのはあまりにスタンダードで、ある意味あまりに凡庸な受験勉強コースになっているのだ。

受験生がその本をやることにはいささかの新鮮さや珍しさもないがそのやり込み具合には僅差大差深さの差が大きいのであって、ただきちんと取り組むならば英語の実力が驚くほどつくのである。

話は英語のこの参考書のことだけではない。
名著は各科目において存在しており、ポピュラーな王道で構わないというのであれば離れ小島の学生から東京都の神田の学生までだれでもこの本で英語を学ぶことができる。他の科目も同様だ。書名なら何もヴォクがいちいちとりあげなくとも、知らない受験生を探す方が難しいというくらいにだれでもやっているような名著なので他の科目の参考書問題集の名をこの記事に中に書くのはやめておくことにする。独学図書はこれまで119記事くらい書いていると思うが、120番目に『英文解釈教室入門編』について書くことを決めた。いま決めた。

ひょっとして伊藤和夫をいま知ったという方がいれば後ほど入門編を読み終えた後に、ヴォクが次に書く「英文解釈教室入門編のマッスグ」という題の記事をあとから読んで読後の感想などを比べていただけたらこれさいわい。他の教科の参考書についてもアマゾンでしか書いていないものがいっぱいになってきたのでこっちにも書こうと思っている。なんで? なんでと言われても〜。
2つ3つの場所に書いた方が感想文が消えにくいかなー、って。ペンで原稿用紙に書いているものでないからさ。現に、10年くらい前に「セルフラーニングアシストブログ」という名のブログに書いていた本の感想文は短い文章達ではあったが全部消えてしまった。たしかエロコメントがいっぱい入って全削除をしているか何かの際に誤って記事を全部消したのだったかな。こういうのってやったあとなんで早まったのかと思うもんだ。以前Gmailの受信メールを7年前くらいに全削除したことがあるのだが受信フォルダにあるはずのファイルや文章が見られなくて後悔したものだ。以降、全消去はヴォクの中でしないことを方針にしている。(消えたあとでは遅いけどね)

(つづく)
『オシムの言葉』
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2017年10月08日

何をいつやるかが標準化されてしまったいまどきに(3) ,イチローの育て方

野球で言えばバッティングでいくつかありえる打法のなかから先達の少ない(かつてのイチロー選手の)振り子打法や落合博満の神主打法などをコーチの指導もなしに独自ではじめから選ぶのは標準化された王道の中のコースを選んではいないことになるのであとで書くことにする。この打法で成果をあげるとはたから見ればまるで生まれつきの天才であるかのように見えてしまうが実際にはそれなりの原因がありえる(河村コーチのいうところの「宝石」ではなく「原石」)。このことについては(6)以降で書くことにする。コーチえのもとのしてくれた話の中でも書いたが天才に見える人の練習法についてはいつも考えていることがいくつかあるので書いておきたい。

話を戻して、ここで、あくまで王道の中のコースの中から自分のコースを選ぶ場合に、どのコースにも先人、先達、過去の入試で合格、不合格した先輩がたの多数の見本がある。受験勉強の場合は目標がスコアだということもコースのつくりを単純なものにしている。受験の場合には正解のはじめからある問題だけを解いているのであって、たとえば恋ダンスの踊りを審査員が審査するときとは点数のつけ方がまるで異なる。

王道のコースはたしかに目の前にある。そのうちどれが自分に合っているのかを探すのはやさしいことではない。

たまたま自分で選んだコースが今の自分に合っているとしたら幸運だが、一番合うのかどうかはすべて試してみないと本来は比較することさえできない。

同時期に数種類のコースを走ることは物理上不可能だ。
パーマンのコピーロボットがいて2つのコースを同時に試すときに初めてコース選択の比較が可能になる。そうでなければ同時に試すことからしてそもそも不可能ということになる。

そこでコーチの目が必要になるのだ。自分の癖は自分だけでは比べられない。外から見ている人には横や過去の体験者との比較の視点が存在する。様子をじっくり客観的に眺める、見ることができるのがコーチの目というものだ。

試走をちょっと自分で短時間してみるだけでは得られにくい広がりのある目でコーチは受験生を眺めている。人に意見されるのが好きではないという人は、あくまで試してみるというのをたくさんいろいろ試すことをしたらいい。
ただしその場合には合うコースを見つけるまでにときに時間がかかる場合が生じてしまう。
それでも他人のアドバイスでコースを決めるなんてとんでもない、自分の人生なのだ。
自分のことは自分で決めるという考え方もありだと思う。

それはそうなのだが、試し走りで感触がすぐに得られる場合はそうなのだが、試し走りで選びとったコースは実際には自分にはあっていなかったと自分で決め、もし後から違うやり方のコースに変える場合には時間的ロス、コストがかさむことが生じることになる。

標準的なコースを選んでいるのならば、自分の進んでいるコースでの学習法勉強法がどう見えるのか人に聞くのは役に立つ。自分の選んだやり方や練習メニュー練習法は自分に合っているものなのか聞くのは勇気がいるものだが、コーチ的な存在の人がいるのなら聞いてみるのも悪くないだろう。

(つづく)

参考文献
『イチローの育て方』(河村健一郎)
落合博満 アドバイス―――指導者に明かす野球の本質』
『バケる人に育てる』(平井伯昌)
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35p イチローの視線がこっちに向く前に、私は気がつかないふりをしてパッとほかの選手のバッティングに目を移すようにしていました。

p.43 って聞いたら、「母がつくるカレーライスっすね」と言うんです。

p.64 と最後通牒のような言い方で迫られたので、彼はキッパリ、「自分のやり方でやらせてください」と言ったようです。そうしたらすぐ二軍落ちしたというのです。

p.74 ちなみに私とイチローのあいだでは、この打法を「一本足」と呼んでいました。

ヴォクにとってこの本は宝石。



posted by 花波 ヒカリ at 23:20| Comment(0) | 考える帽子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

何をいつやるかが標準化されてしまったいまどきに(2) ,バケる人に育てる

学習の進め方に疑問を持とうが持つまいが決まった標準的なコースの真ん中をまっすぐ走り抜けることができる、ある意味素直な人は強い。
コースが間違っていない以上、グループだろうが個別だろうが、独学だろうが、まっすぐ一直線に走れたら、速い。

自分の色を出したい、アレンジしたい、自分のやり方でやりたい、人と同じことは好きでないという人は、とことん自分流を貫くしかなくなってくる。周りのほとんどみなが同じような参考書問題集を使う中でそれらを確実に避けて進むことは可能ではあるが、新しい道は先達も少なくペースメーカーもいなくなる。

マラソンで言えばグループから離れ自分1人で走るようなものだ。ただただ著者の声と自分の内なる声だけを頼りに進むレースになる。

なにしろこれだけ情報開示された標準的なコースがある場合に、まっすぐ最短距離のコースは高い確率でそれらの標準的なコースの方であって、他のコースは変形コースになっているのだから。

ダンスの表現、歌の表現、映画での演技のように味というものが優位に働くような要素は受験勉強の世界には少ない。artはartでも受験勉強のartの意味は技術の意味の方であって芸術の方ではありえない。

こうやれば必ずできるようになるという道は未知のコースとしてはほんのわずかに開かれているかもしれないが、99パーセントを占める王道は標準化され舗装された真ん中のコースにしかなくなっている。

しかし、王道にもいくつかのルートはある。
どれもたしかにまっすぐなコースなのだが性質や種類の異なるコースに分かれており、受験生はいくつかのコースの中でどのコースを走りたいのかを選択できるようになっている。100m走のように自分のセパレートコースがあらかじめ決まっているわけではなくどの最短コースを選ぶかは自由に解放されているのだ。

途中でコースを選びなおすことすら可能である。接続という業界用語があり、あるコースから別のあるコースへ接続する場合は相性がいい悪いなどのルート議論がある。

それぞれのコースの特徴や相性、コストさえも情報は多かれ少なかれネットの中で行き渡り、選択やコース変更がしやすいように情報化されているのがいまどきの特徴であると言える。

(つづく)
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p.60 優秀な人ほど、横を見る癖があるようです。人との比較といった相対値で判断しがちになり、自分自身の可能性という絶対値に気づかなくなることもあるのです。

p.74 「康介、予定どおりにトレーニングをしてたら間に合わない。おまえには悪いが、大幅にやり方を変更して、強化期間も延長するぞ。」・・・(略)・・・「先生に任せます」とだけ言いました。

ヴォクにとって宝石の本。
posted by 花波 ヒカリ at 22:56| Comment(0) | 考える帽子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

何をいつやるかが標準化されてしまったいまどきに(1) ,アドバイス―――指導者に明かす野球の本質

たまに、あくまでたまにご質問をいただく。本人に任せて放置するのがよいのか、管理した方がよいのかと。
子どものうちは管理が必要な面も多いと思う。トップ校でも管理型指導でもなんとかなるだろうし、放任型の指導でもなんとかなるだろう。

高校生になると学習内容の面で5教科7科目入試の難関受験となればやることが中学の6倍程度にはなるので管理するとなるとしても大変になる。そもそも高校生本人が管理を嫌う場合もあるだろうし逆に管理されるのを好む場合もあるだろう。

ここで、管理か放任か1つのやり方しかないと考えるのは難しくなると思う。個性と言ってしまえばそれまでだがやはり人によって時期によってどうやったら今伸びて受験に間に合っていくかというのは個人差時期差が大きい。様子を見て心技体を見ながら指導できるのが環境としては望ましいと思う。

学校には教科書があり問題集があり授業がある。それらをただしっかりやるだけで難関突破できるかと考えると、なかなか難しい。
過去問30年分程度をどう解くのか、未習得の必要な技術をどんな問題演習を通して身につけたらいいのか、その部分は指導経験がある人に進捗や成果を見てもらうといいと思う。ちょうどピアノの先生や運転の先生が見極めをするように、要素ごと、ステージごとに具体的な何かの要素を確認することはコーチ、講師の最も得意とする仕事なのだから。かたや全体を見ること、全教科を眺めること、教室にいない時間を眺めようとすること、そこはコーチ、講師でも苦労するところである。

マラソンには途中まで並走するペースメーカーがいると思う。いまは受験戦略、学習戦術もネットにあふれてはおり、スタンダードとされる(ような)練習メニューを見ることはしやすい時代になっている。つまり学習者はペースメーカーの走りがどのようなものなのかについては相当の知識を得ることがしやすい時代になっている。

本当によい計画がある場合に、それを実施する、問題演習を進める、覚えるべきことを覚え込んでいくということができれば力はついていく。では本当によい計画はどこにあるのか。

ネットが発達していなかった時代には、どういう参考書問題集を選ぶかも含め学習の組み立ても自分で考える人が多かったはずだ。何の本をやればいいかの標準的な解や多数派的な解というものが今ほどなかったはずだ。どういう参考書や問題集を選ぶのかを考えるところから独学がはじまっていた、よい本を探すのも実力のうちというのが昔の独学のあり方だった。

しかし今は違う。
受験戦略の本が多くあり、ネットにも合格体験談などが多数ある。多数派、個性派、自分に似た環境の人のやり方など多くの勉強法に触れることができるようになった。受験勉強のスタンダードな並走者が見つけやすくなっている。

最近はヴォクは回答していないがYahoo!知恵袋もある。どうしたらいいかたくさんのアドバイスまで無料ですぐにもらえる。掲示板というものもある。書評なども多くのコメントを読めるようになっている。

(つづく)
参考文献
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posted by 花波 ヒカリ at 22:36| Comment(0) | 考える帽子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

コーチえのもとのしてくれた話(8)

おまえたちは優勝を狙って練習して優勝をした。
2番手から5番手まで力の差がないからBチームも強くするようにいい選手をBに入れた。
Bは優勝ではなかったがBのメンバーがAにいたらそれでも優勝したと思ってもよかど。

Aには一番手の天才がおるからAの二番手三番手は誰が入っても大丈夫だったわけだから。
AとかBとかは一番手以外は俺が勝手に分けてるだけだから勘違いするな。
実力は変わらんど。練習しているからよそのチームには負けないけどまーたいしてうまくない。
少しだけ敵よりはうまいちゅー程度だな。未経験者の俺と変わらんうまさだ。
わかったか。

はい。(返事しないと説教追加30分が確定し食事が遅くなるのでタイミングよくチームが返事をする。)

優勝して見えることがあるとわいが言ったのは見えたか?

沈黙

ふー。(タバコをふかしながら)。
お前たちが30歳になったらわかっど。

優勝するには練習を全部したのよ。
県内の天気はどこの学校でもたいしてかわらんだろう?
晴れの日の明るい時間も変わらんだろう?
テニスコートは3面あって不足もない。
水たまりもできないふつうの土で問題ない。
俺がここにきたときは俺の座るところもなかったけど
いまは木のベンチもおいたしタバコの灰皿もおいたから居心地も問題なかど。

あとは全部をテニスに集中させたかで決まるわけよ。
ボール出しはすばやく選手は回転しながら球数をかせぐ。
100打つより200打つ方がうまくなるにきまっとる。
ちょうど足が絡まってもういごけん(動けない)というくらいのときに太陽が沈む、ちょうどよかどが。






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2017年09月27日

コーチえのもとのしてくれた話(7)

腰を落とせ。手で打つな。回転で打て。力は入れるな。
壁を作れ。

基礎が大事ということでラケットも地面に置いて正しいフォームを身体に覚えさせるためにヴォクたちは素手で何度も走り、素振りした。手をどらえもんみたいにしてぼくたちは何度も何度もコートの中を走りながら素振りした。
テニスがしたかったのになんでラケットを持たないのだろうか。

コートに男たちが何人も入っているのだが誰1人ラケットを持っていない。
ボールは飛んでくるのだがポジションに正しく入ったらイメージで素振りだけする。ボールはそこにバウンドしていて打ち返されてもいないのによしっ、よしっなどと確認が入る。

はたからみたらなんだこの馬鹿げた動きは?となっただろう。誰も見に来なかったし暑かったので朝のうちはダッシュのあとのゼーゼーのまま上半身裸で練習していた。ラケットがないから変だ。

ラケットも持たずに手足の動きを確認しながらボールを追いかける。
スマッシュ練習では正しく十分に下がり、前に出ながら飛び上がりただしく頭でボールをヘディングする練習やただしく利き腕と反対の腕でボールをつかむ練習をした。

なんじゃこりゃー。
コーチえのもとの練習メニューはおよそテニスっぽくなかった。
そもそも彼はテニスは未経験者で前年までは卓球で県大会優勝、その数年前まではバレーで県大会優勝に学校を導いたという意味不明なご経歴だった。

なんでテニスに来たのかわからない。
でもそんなことを言えば、ヴォクだって吹奏楽部に男子1人なのが嫌になって途中からふと友達の追っかけでテニス部に流れ込んで拾ってもらった類なので人のことは言えない。

ボールを打つくらいならタイミングだから非力なヴォクでもできるかもというやわらかい期待は実際に身体をコート上で足を動かすと吹き飛んだ。
息が苦しくて立っていられないではないか。

コーチえのもとは真っ暗になるときまって話をしてくれた。
基礎さえしっかりすればうまくなる。
基礎は絶対に崩れたらいけないポイントでそこだけはどんなうまい選手でも守っているところだ。

天才ははじめからそれができっが、2人以外は刷り込まないと身につかない。

素振りをしろ。
腰を落とせ。
軸を動かすな。
壁をつくれ。
手で打つな。
力を抜け。
インパクト以外は力はいらん。
身体で打て。
足で打て。

うーん、よくわからないけど部員たちのフォームは似通ったものになり正確さが高かった。

天才の2人だけが自由なフォームでたのしそうに軽やかに打っているように見えた。他の選手はみな確実な基礎的なフォームを身につけた。見た目は小さいが正確でコントロールはいい。

地味でも確実でミスの少ないフォームを身につけた。
基礎練習ばかりだしボールをさわらない練習が長かったがそれがよかった。
ボールなんかに振り回されずまずはフォームをつくった。
どんな球がきてもそのフォームで打てばいい。

ボールを打っても打たされるな、自分のフォームを作れ、自分のフォームで打て。それが彼の口癖だった。

posted by 花波 ヒカリ at 06:58| Comment(0) | コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コーチえのもとのしてくれた話(6)

ヴォクはコーチえのもとと話をしたことが一度もない。
ある試合があった。それははじめての県大会大きな試合だった。ヴォクが弱気で受けのボール運びをしていた。
自分から攻めずただ来たボールをぼーっと練習ボールみたいに打ち返していたらしい。

試合中にテニスではコーチが選手にアドバイスを与える時間があるのだがコーチえのもとはヴォクに思いっきりビンタした。気合いを入れんかー。
頰が熱くなり何が起きたのかよくわからなかったが正気に返ったヴォクたちはその後決勝戦まで無事に進んだ。

叩かれたことが悔しくて怒りがこみ上げてきて緊張で上がっていたヴォクはいつの間にかコーチえのもとを憎むのにせいいっぱいで緊張など忘れていた。

今思い返してもあの試合中のヴォクははじめての大舞台のデビュー戦で舞い上がりろくな動きができていなかった。一回戦であやうく負けてしまいそうだったためいきなりビンタされたのかもしれない。
理由はよくわかっていない。何しろ会話をしたことがないので、あのときのビンタはなんだったんですか?なんて聞くこともできないし聞く気もない。
ヴォクは選手で彼はコーチ。
まだ1人で考える力など何もなかったヴォクに対してコーチえのもとは何もかも押し付けてきた。
教え込みである。
ありがたいことだった。

ヴォクは運動音痴で走るのも遅くやせのもやしでまさか自分がテニスでうまくなれるだなんて思ってもいなかった。
それが練習をきちんとするだけでどんどんうまくなれた。自信になった。

ふつう試合のことはほとんど覚えているのだがその試合の内容は記憶がないことからしても舞い上がって自分がなくなっていたことはあったと思う。

大事なデビュー戦でビンタをもらったのは後にも先にもヴォクしかいなかったようだがとにかく勝ててよかった。
ヴォクたちは優勝した。
いたうれしいが、なんで上がったのか悩んでいたヴォクだけはきっと写真にも作り笑いで写っていただろうか。

ヴォクだって自分のプレイがしたかった。
思うようなプレイができるようになるにはどうしたらいいのか。
練習と試合は違う。

試合で勝つには技よりも体力よりも心が必要だということをなんとなく知ったのはデビュー戦が終わって次の大きな大会を迎える前くらいだった。


posted by 花波 ヒカリ at 06:54| Comment(0) | コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コーチえのもとのしてくれた話(5)

おい、K、こっちを見ろ。俺が話しているときに下を見るな。
おい、Ca、ポケットに手を置くな。気をつけして聞け。俺が話しているんだぞ。こっちを見ろ。

コーチえのもとは当たり前のことができないと必ずすぐに大声で怒った。

あるときSiたちがいざこざをおこし喧嘩をした。Si
練習をさぼってスーパーでアイスを食べて休んでいたようだ。彼のローレルはSiたちをみつけてコート脇に呼び戻した。

彼はみなが見ている脇でSiたちを30分くらいずっと説教をした。高級ラケットがかわいそうだった。2、3万するラケットがかわいそうだった。
Siのお尻よりコーチえのもとの高級ラケットが折れないかどうかみな声を出しながらも横目でずっと見ていた。
コーチえのもとは練習を見たいのにこんなことをして時間がもったいないということではなかった。

練習をサボるな、馬鹿が。
お前が練習したくない日があってもチームの練習は、やってるんだ。
お前が近くのスーパーでサボるとチームが弱くなるだろうが。
お前はテニスが嫌ならテニスをやめればいいがお前がやめるとチームまで弱くなる。
なんでかわかるか?

わからないなら今からすぐに戻って気合いを入れて練習せ。
そしたらわかってくるから。
ばかがー。

Siもヴォクもなんでチームが弱くなるのかよくはわからなかったがコーチえのもとがそういうならそうなんだろうと思った。
彼がチームに戻って練習に参加するとなぜかしらんがチームの団結力があがったような気はした。

抜けようにも抜けられんな。
やめるっちゅう選択肢はないような気がする。
練習はきつくて嫌だったから休みたいことは多かった。この頃からだ。ヴォクは雨が好きになった。雨が降ればコート上でひっくりかえらなくてすむ。大きな窓の前で素振りする方が楽でいい。練習は休みたい。でも優勝はしたい。優勝したらいいことがわかる、優勝してはじめて見えることがあると毎日のようにコーチえのもとから聞かされていた。何としても県大会優勝というものをしてみたかった。

そのためにはとにかく与えられたメニューを倒れずにやるしかなかった。
練習に出たり出なかったりというようなことは許されなかった。
チームの全員がよほどのことがない限りひとまず練習には参加した。
休んでよいかどうかはコーチえのもとが決めることだった。
それは当たり前のことだ。

おい、P、目がぼーっとしちょっど。風邪をひいてるんじゃないか?
きょうは、もう帰りなさい。

はい、すみません。



posted by 花波 ヒカリ at 06:39| Comment(0) | コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コーチえのもとのしてくれた話(4)

コーチえのもとの話の中にはこんなことがあった。
その誰にも負けない特技なのだが、Cuはどう考えても皆の中でテニスが一番下手だった。
実はCuだけはピアノとの両立でありしかもピアノが主だったためテニス部の練習へは短い時間だけ参加することを特例として許されていた。

しかしCuが練習にたまに最後まで出られたときには暗がりの雑談の中でコーチえのもとがこんなことを何度か話してくれた。

お前たちが気づいちょるか知らんから言うど。
きょうもCuがボール拾いは一番やったど。
みんなCuのラケットを見ろ(コーチえのもとがラケットを持ち上げながら)。

ラケットはもったいないことに先端がすり減っていた。練習時間は一番短いのにラケットのへたれ具合は一番だ。どういうことだ。

ボールをラケットで拾いすぎるあまり先が何度も地面にあたって削れ薄くなっていた。
木のラケットは前の面と後ろの面が薄く近づきいまにも折れてしまいそうだった。

Cuはこのラケットできょうも一番声を出して一番多くのボールをひろっとったど。

こういう人になれ。そしたらテニスがうまくなる。

Cuが後日演奏会で全校生徒の前でピアノを弾いた。
演奏後テニス部員はみな立ち上がって拍手した。
日頃のボール拾いの努力を知っていたから。

下手なのに部活のために1つでも多く自分からボールを拾う彼のピアノは誰よりもうまかった。
ボールを拾うのがうまいことと彼がピアノがうまいということがテニス部員の中では一致していた。
あの人が弾くピアノだ。
道理でこんなにうまいわけだなー。

テニスのボール拾いもうまいがピアノは本当にうまいなー。
さすがはCuだ。



posted by 花波 ヒカリ at 06:16| Comment(0) | コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コーチえのもとのしてくれた話(3)

俺は半端はひとっちゃすかん。
一個だけは誰にも負けないくらいになれ。

Hはスマッシュだけは200本連続でも失敗しない。
Heはファーストサーブがうまくてほとんど入る。
Liは足が速いからとにかくボールにうまく入って返球できる。
Beはラリーになればミスがない。何球でも打ち損じないでラリーを続けられる。
いいか、何か1つでいいから誰にも負けないところを見つけろ。それをとことん伸ばせ。
Bは脚が遅いがパワーがある。球のスピードでは誰にも負けるな。
Cはボレーだけはうまい。壁みたいにCの前のボールは全部ボレーされる。
Nはラケットを縦に使える。ボールがバウンドした直後の低い打点でも器用にライジングボールが打てるから小さな力で速いボールを返球できる。相手のボールが速ければ速いほどその力を利用して速い球を打ち返すことができる。
Oは駒みたいに軸がぶれない。軸がぶれないからフォームが安定してくずされない。コースに狙い通りに打ち返すことができるから相手を動かして疲れさせる。

コーチえのもとが見つけてくれる長所に各自が喜び一層そのポイントを伸ばした。
天才はたくさんのポイントでうまく総合力ではかなわなかったが、その1点だけなら負けないというのを2番手から5番手までは作っていった。

実際それは技術面の武器であるだけでなくテニスプレイヤーとしての自信になった。
俺はスマッシュだけは誰にも負けない。
スマッシュという競技はないけどもしあれば優勝できる。
だからスマッシュが決められるような試合運びをしよう。
スマッシュを決めるには敵にロブを上げさせるように配球すればいい。そのためにはボールをコートの奥の方に深く打っていこう。
相手を走らせて返すだけがせいいっぱいというようにボールを回していけばいい。

というように、自分がスマッシュを打つためにはそのためにどういうボール回しを作戦としていくか、特技を生かすための試合運びを考えた。
そしてそのポイントについての練習を集中的に行った。

打ち方やフォームは誰も結構似ていたが、試合運びには個性が出た。
得意なパターンに相手に持ち込まれると勝てない、そういうふうに思ったし、逆に自分の型に持ち込むにはどうしたらいいかと考えるようになった。



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コーチえのもとのしてくれた話(2)

これは前にも書いたことがあるが、コーチえのもとはよく天才の話をしてくれた。
チームの中に幸運なことに天才が2人もいた。
学年に1人ずつ50年に1人の逸材がいたので(実際天才かどうかは今思えばわからない、彼がそう言ったのでチームのみなはへーそんなもんかーと思っていた)、ヴォクら凡人は2番手を目指すというのが目標だった。

そう、ヴォクは一番手も優勝も考えていなかった。団体優勝するためには自分が優秀な二番手であることが重要だった。
天才は必ず勝ってくれるので、団体戦で勝つには二番手か三番手が1勝するだけでよかった。

二番手になるには練習だけだというのが彼の筋だった。
実際2番手から5番手までは実力差はほとんどなかった。
気の強い人、本番で強い人、自主練を多くする人など個性はあったが、練習試合での成績は2番手から5番手まであまり変わらなかった。

努力でうまくなるなんてうそみたいな本当の話だと誰もが思ったが、実際みなうまくなった。

そして実力差が小さかったので天才以外ならなれるかもしれない、二番手になら自分もなれるかもしれないと皆が思い込んで練習していた。

番手を決めるのはコーチえのもとの仕事だった。選手はただうまくなることを考えていた。

結局AチームもBチームもかなり強くなった。
Bチームには計算上、2番手の実力を持つペアが2ペアもいたので大抵の試合には勝った。

できない目標を立てず、できる目標を見せるのはコーチえのもとの持っていきかただったのではないか。実際みなが自分はうまくなって二番手になるぞとそんなところを目指した。3番手は3番手でいいだろなんて誰1人思っていなかった。
試合をすれば誰だって勝ちたいに決まっている。

このようにしてヴォクはいまになってもあの言葉の意味は何だったのか、どうしてあの話を繰り返ししてくれたのかと考えさせられる。
週に1回くらい夢にも出てきて考えさせられる。


posted by 花波 ヒカリ at 05:41| Comment(0) | コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コーチえのもとのしてくれた話(1)

コーチえのもとから教わったことは片時も離れない。染み込んでいるので逃れられない。
コーチえのもとは練習が終わりボールが見えなくなると整列させいつも決まって話をしてくれた。

その話がよかった。
聞いているときはなんの感想もなかったがいまの年齢になってもコーチえのもとがしてくれた話のすべてを覚えている。当時のヴォクの記憶力がよかったからなのか、それは違う。

彼の話がどれも意味深い話だったからというのと、怖かったから集中して聴いていたのと(学校の授業中の10倍集中していたと思う)、それから耳にタコができるくらい同じことを伝えてきたからというのもある。

コーチえのもとの話には大会で優勝することが必ず含まれていた。
選手たち、そしてヴォクはテニスの能力がたとえ低くても優勝する気だけは持っていた。

毎日優勝の話を聞くことでその日に大会でいい試合をして勝つことは刷り込まれていた。
勝つことはもうイメージされていてそこに向けていまの練習がある。

その試合の前の練習試合までにどこまで何ができるようになっていかねばならないのか、時期ごとの課題が選手一人一人とチームに対して計画されていた。

ヴォクたちは何の疑問を持つこともなく教え込まれたメニューをただ黙々といや声をせいいっぱい出して実行した。

足が絡まって倒れるまではまさに計画どおりの練習をした。

話のなかみ(1)
大会でどういう結果を出すのかイメージすること。
練習のすべてはその大会のためにもある。


posted by 花波 ヒカリ at 05:25| Comment(0) | コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

定置網勉(了)

高校生に訳あって勉強法をお聞きした。全教科得意な子なのだが、中でも特に得意なのが社会で、一体全体どうやって覚えているのかと。
ヴォクが驚いたことの1つは問題集の名前はとくに知らなかったという点である。
毎日のように部活帰りの図書館で使っていた使い込んでいた問題集なのでそれはきっと「問題集」という名前になっているのだと思う。

毎日使っているシャーペンのことをシャーペンと呼ぶような自然さでこの子は問題集は問題集という(ような)ことを教えてくれた。

実際学校指定の問題集で何でも載っている間違いのないいわゆる問題集で学校で問題集と言えばそれを指すのだろう。範囲は問題集の何ページといえばその問題集が試験範囲ということだ。定期試験ごと、模試前ごとに使い込んで解きこんできたもの。その問題集にたいして何かの名前を与えようとしたヴォクが馬鹿だった。名もなき問題集。

学校の誰もがそれをもっていてそれを使うことに何の疑問を持つ必要もない。その問題集のことが好きなのだろうか。お聞きしたかったが聞けなかった。好みのことなどなかなか聞けないよ。

どうやったら覚えられるのかという質問に答えてくれた。この子にこのことをお聞きするのはちょうど2回目だったが、前と全く同じ答えだった。「私の場合は、問題集を解きます。わからなかったことを調べます。」ということだった。

「私の場合は」という言葉にまたも感動した。前回もそう言ってくれたが今回もたしかにそう聞こえた。世の中に多くの人がいて勉強法は百人百様だけど私の特殊な場合をあえてとりあげて説明するのなんかでよろしいのなら、「問題集を解くというやり方です」とそう言っているように確かに感じられた。ヴォクの場合にはそう感じられた。

なんと謙虚な言葉なのだろう。有言実行どころか、言わずに実行するこの方らしく、勉強法をあれこれ模索するよりも、よい参考書問題集を探し回るよりも、勉強法について言うよりも、とにかく解くという行為をしっかり集中して実行する方がずっとずっと大事ということがひしひしと伝わって来た。
集中するために運動部後のクタクタなときに図書館に直行しご自宅に帰り着くのはいつも夜遅くだなんて。

問題集を集中して解いて知らないのは調べてまた問題集を解く。なんと素敵な勉強法だろう。そのあまりの普通さの中にこの学習法があることがかえって、自分がわかるようになるまで、自分が解けるようになるまで集中してやるのが勉強に決まっているという信念を伝えている。

いつもの問題集を解くって、すごい勉強法だ。この方の実行力を、後輩に伝えたい。埼玉県内トップの高校で通知票全教科オール5をとり高校から大学へ推薦を受けて進学することを決意なさったこの方に伺った貴重な勉強法、しっかり後輩へつなぎたい。

ところで解くという行為は机の上で文字を書くことを伴うので机の前で椅子に座って学習する時間をとるという時間をつくることが重要である。座らないことには解くことは始まらない。

暗記物は電車の中やソファーの上でもできるが、解くということだけは机に座らないとできない。
この子のように通学の電車の中では暗記物を、解くという行為自体は机と椅子で行うと適地適勉するのは、効果を上げるという点で大切なことであると感じた。

(定置網勉 おしまい)
posted by 花波 ヒカリ at 23:34| Comment(0) | 考える帽子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

定置網勉(6) plus きょうの理科 過去問100年分とは。

慶大へ進んだ化学と物理が得意なこの方には、模試結果と一緒に復習した記述部分が合っているか見て欲しいということでノート類を見せていただいたことがある。その時に聴いた話のメモから。

手帳の1ページだったのだが隣のページにたまたまあったパネルが見やすかった。

ゆったりと大きな図と式、最小限のコンパクト(アンド ディープな)コメントがついていた。
覚えたいことだけに絞ってノートにまとめては修正し古い方は捨て、また書き足したり書き直したり捨てたり作ったりしながら自分流の情報パネルにしているようだった。

模試結果はそこそこにそのノートの他のページも少し見せていただいた。ゴイスだなー。

詳しさというのは理解するときに合う。一方、パッと見て目に飛び込むことだけのまとめは記憶に合う。

情報をカードや手帳やパネルにまとめると学習内容のエッセンスが脳内で整理され深いところにあるだけでなくインデックスがつくられ引き出しがつくられ取っ手ができて、取り出しやすい使える知識になりやすくなる。

この子のように問題を解いた後に学習したことをパネルにまとめておくのは、記憶を確かにするためのめっさよい学習技術であると思った。

網を強く、網を良くしていくような感じを受けた。
ポイントを書き直して、次に問題に当たったときには掴めるように、網をもっと強くしていく、そういう感じを受けた。

入試過去問やオリジナルの問題を解いて、その問題をわかって解けても、そこではまだ終わりにしない。
だめ押しがあるんだ。

その問題を解決するための技術と知識とを一般化しノウハウ化し、自分のネットワークの中のネットの1つにして組み込んでいるようなそんな感じを受けた。

長い問題や説明のまま読み直して復習するのにははじめの9割ほどの時間がまたかかるが、パネルを見て復習するのは1分くらいでできる。

繰り返し見てすぐに思い出しながら、知識の記憶を一層ずつ強固にしていけるので、復習効果まで考えるとパネルを作っておくことの効果は計り知れない。

(つづく)

きょうの中1生の質問
「塩化アンモニウムと水酸化カルシウムを混ぜるだけでなく加熱するのはどうしてですか?」

するどーーい!
固体と固体だから1億分の1cmの原子レベルで見ると混じりにくい。だから加熱するよ。加熱してエネルギーを与えてあげるといいんだ。
逆に液体と液体だったらどうだと思う?

plus ある方の新刊本をいつものように読んでいると過去問100年分をやったということが書かれている。
講習に出るより過去問を解いた方がいいのはもちろんそうなのだが、過去問を解くこと100年分という発想はヴォクにはなかった。50年分は書籍で持っており、32年分はプリントなどにもしていたが、100年とは。

たしかにそこまで遡ればまたいい問題に出会えると思う。いつやるかだけが、問題なのか。まずは問題を入手してみることに決めた。

ほなね。

posted by 花波 ヒカリ at 05:42| Comment(0) | 考える帽子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月15日

卒生のご訪問 plus 国語が得意な子に聞いた話。

もう会えないかと思っていた。たまにお便りをいただいていた子が就職がきまったということで来てくれた。
行政の事務職に決めたとのことだった。Wスクールではなく大学のゼミ以外では試験対策は受けずにどこかの資格学校には諸事情により通わずほぼ独学で試験には通過したと話してくれた。

「あなたの勉強法はめちゃくちゃです。目を覚まして。」と言われて以来、気合が入ったと話してくれた。
そのような言葉を言った記憶はないけど。記憶がないって便利な言葉だね。禁句としよう。

バイトで大学の学費を自分で出したという方だ。今後もどうぞよろしくね。

plus 国語が得意な子に聞いた話。
河合の記述模試がかえってきたときの感想で聞いた話。
まず時間は余るということだった。
たとえば評論文では言いたいことが1つしかないのに、理由、説明、対比、例示(「たとえばー」が一番うまいのはドラえもんだと思うに3000点)など結局言いたいことを際立たせたいだけなのでつかんでいるところはどんどん読んでいるということだった。
ネットでニュースなんかを流し読みするときに近い読み方をどうやらしているようだ。
本はかなりいっぱい読んでいる子なのでそれだけがコツとは言えないかもしれないが、なるほどなーと思ったので書いてみた。
言いたいことを追跡している限りにおいてメリハリをつけながら読み進めることができていて、結果としては全体をある程度高速度で読んでいるということになる。ありがとう、ありがとう。

200字要約の基礎訓練は中2の後半までやっていたのだがほぼ毎回直すところがなくなっていたのでやめた。高校生になっても問題文と一緒に200字要約を(勝手に)書いてよく持ってきているので見ていたがやはり手直しすることはほとんどなかった。記述式の添削課題を毎週やっているが、模範解答より優れた答案を書いてくることが多い。駿台全国模試でも偏差値が爆発しており全国順位でトップクラスのスコアをとっている。

理系で理科の勉強がいっぱいあるのにいつ本を読んでいるのか、不思議でならない。化学の物質名なんかは人の名前にして物語をつくって覚えていると言っていた。陸上選手の名前にして競わせているらしい。謎。

理科を勉強するときにも国語の読解力はかなり必要である。
たとえ挿絵漫画付きのわかりやすそうな参考書であっても書いてあることが書いてある意味で深く理解できる必要がある。
7周読み返してわかってくるのでもなんとかなるができることなら1回読んで内容を理解できた方がいい。

ほなね。

posted by 花波 ヒカリ at 12:08| Comment(0) | またたび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

定置網勉(5) plus きょうの理科 高2化学の質問から

でね、同じ問題集をずっと解くのがいいわけよ。
ただ解くのじゃないよ。
自分流でも解くの。

できたらもう模範解答や解答例もそっちのけで自分の答えをつくっていくの。
途中何を調べてもいい。
最高の問題が目の前にあれば問題集の解説を参考にするのはもう最後にしたっていいの。

問題があって答えがある。途中をつくって答えに必ずたどり着くまで考えるの。
ノートには自分流の解説ができていく。

俺流解説とか、私はこうやって解いたみたいな。
それって楽しいよ。
自分のこととして問題について悩んで考えて調べて、そして納得したりわかったり思いついたりして解けるときの喜びと言ったら。

自分で全部もう考えるしかないと割り切ると人間火事場の馬鹿力みたいなのが出てくるもんだ。
もちろんね、聞いたり見たりした方が早いってそういう誘惑もあるし実際その問題を理解するだけだったらわかっている人に聞くのは早いだろうね。

道を迷っているときに人に聞くってそりゃあ早いに決まっている。
唐船峡そうめん流しはどっちですか?
このまままっすぐ言ってはじめの信号を右に曲がってね。
はいよ。かんたんだね。

ただね、次にまた聞かないでその流しにたどり着けるかな?
ソーメンまで迷わずすすすーっと行けるのかね。
言ってみないとわがんねけども。

ただね、聞かずにたどり着いた場合は、次からは迷いにくくなると思うよ。そういう感じかな。

話が道に、横道にそれたけども、ヴォクが言いたいのはね、解けるまで考えて、どうしてもダメなら本を調べて、実験して、考察して、絵を描いて、例を書いてってできることをあれこれやってもいいからとにかく解けるのをめざすというやり方もあるってことなのよ。
自分の考えがないってのとは真逆のやり方があるってこと。

よくこんな話を聞かないかな?
この科目はこの本しかやっていません、それで何々大学に進みました、みたいな言葉を。

あー、一冊やっただけってはいはい(一冊ってことはないだろうに)って思う?
ヴォクはそうは思わないな。ほほー、まさかの一冊トコトンきたか。
うーん、どの問題集をやったのかは最後に聞くとして、どういうやり方をしたのかきいてみたいなあ。(その一冊は高校物理なら『物理教室』みたいに実にきっちりとしている参考書や問題集であることが多い。) 使い方や進め方は個人差がかなりある。

一冊やるにも程度の差、方法の差、かける時間の差が相当にあって、一冊の問題を全問解けるのは当たり前として、問題についてあれこれ感想やコメントを述べられるくらいまで深くやるのと、ただ一回解こうとしてみたというのとでは、永田川(ヴォクが小学2年生の頃住んでた増田ビルのそばの鯉がよく釣れる川)とアマゾン川(いろんな部族がいる川ってそんな風に辞書には載ってないぞな)くらい違うんだな。

(つづく)

きょうの中1理科。
子 : 「鉄か亜鉛に、塩酸か硫酸ということですが、銅に塩酸でも水素が出ますか。」

光 : 「陽イオン化傾向の小さい銅はこっちの原始人グループに書いた銀と同じで塩酸や希硫酸には溶けないよ。イオン化傾向はすぐに覚えられるからこれを覚えてね。でも、銅は熱濃硫酸には溶けてこの気体が出るね。銀の場合はこうなるね。」

子 : 「陰イオン化傾向もありますか。」

光 : 「はい、あるよ。」

きょうの高2化学。
子 : 「過酸化水素は酸化剤と還元剤の両方になることができるのには何かわけがありますか。」

光 : 「わけはあるね。O原子の酸化数が-2、-1、0ととることができることだよ。」




posted by 花波 ヒカリ at 05:21| Comment(0) | 考える帽子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月14日

定置網勉(4) うまくなりたかったら問題を解け。 plus きょうの原書購読

(埼玉県トップの高校で学年トップになり成績はオール5、推薦を受け自分の行きたかった大学へ進んだ子に聴いた話のメモから。)

重要な問題、試験によく出る問題、過去問に何回も出題のあった問題、入試によく出る典型的な問題いわゆる必修問題、一度は解いておきたい入試で差のつく問題などいろいろな問題がある。
問題演習する際、どんな問題を解くのかは一大事だ。同じ時間をかけるなら、悪問や無意味な問題の類は一切なしと願うのは誰しも同じで、著者がこだわりぬいた厳選の良問だけを徹底演習したいと思う。

理論上、入試には合格ラインが存在するので典型的な問題が解ける、制限時間内に解けるようになれば合格する。

そして合格を目的に受験勉強をする場合、良問を解けるまで繰り返し繰り返し練習するのがよい。参考書を読むのは確かめたり調べたり理解したりするのに向いている。問題集を解くのは自力でどこまでできるようになっているのかを知るのにもよい。

間違いのない良問題群を前にして受験生がとるべき姿勢の一つはただ解けるようになるまでなんとかもがいて苦しんでも練習を続けることだ。

それをしないのには、どんな理由があるのだろう。もっといい問題にあたりたいというのは理由として無理がある。
著者(陣)が厳選したその問題群は実際よく厳選されている。経験の少ない受験生より長年問題研究を積んでいる著者の目を信じた方がよい。

問題を解きたいが解けない、解説を読んでもわからないから投げ出してしまう。という理由はよくあることだろうか。せっかくの良問だと信じているが悲しいかな、歯が立たないし解説を読んでも棒読みに近くなってしまう、呪文のような言葉の森の中で道に迷い途方にくれ本を閉じてしまう。

その瞬間は誰にでも訪れることであってその瞬間に勝負がある。
そのときだ。
その問題の上でふんばる必要があるのだ。

というような話だった。
問題を解く。わからなくてもわかっても問題を解く。そして知らなかったことを調べるのがこの子の勉強法だと話してくれた。手帳には覚えるべきことだけがパッと電車内でもどこでも見られるようにメモされていた。問題集で間違った後に調べて要点だけをまとめたものになっていた。手元にあるいただいたカードを見ながらここまで書いてみた。

(つづく)

plus きょうの原書購読
中高生と読んでいる原書購読。きょうは The New York Times の新聞記事を読んだ。
英検で言えば1級程度のレベルの英文が読めるので Reading の練習素材としては最もよい。
新聞は専門性はさほどないが、新書やニュース特番と同じでテーマについて最新のトピックを読めるのでおもしろい。最後に日本語英語で100字要約を行なっている。結局言いたいことは何だったのかをまとめるのに200字では多過ぎる。

最後に賛否両論自由にコメントをつけてもらっているのだが、そこが一番おもしろい。自分の意見が何より大事だし、人が何と言おうと自分はどう思っているのか、というのを書くのは楽しいものだ。



posted by 花波 ヒカリ at 05:22| Comment(0) | 考える帽子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

川内選手 plus きょうの理科の質問から

このサイトで知ったのであってまだ直接(直接?)見聞きしていないのだが、川内選手が振り返ってコメントなさったらしい。

(上記サイトからの引用)
「転ぶ前に看板に激突してよろける場面もありましたが、うまく転べたり、冷静だったりと過去の経験が生きていたと思います。
(引用終わり)

読み返して気がついた。「うまく転べたり」。
転ぶのを前提で練習なさっているのだなと。
転び方までうまく転んでダメージが少なくなるようになさっているのだなと。
ぜひ真似したい。

谷口選手の靴以降、トラブルに対処するのも力のうちという考え方があるのだろうか。
陸上は見るだけで何も知らないヴォクである。それでもいろいろ考えさせられる言葉だと感じた。

光のある塾生(小学生)が陸上をやっていて、川内選手のご兄弟と一緒に練習したことがあるというようなことをそういえば授業中にうれしそうに話してくれた。

いいなー。
川内選手の走りを知ったのがきっかけでとりあえずビデオにとろうと思いついて昔ビデオを買った。
そのことはたしかこの日記にも書いたと思う。

今回も録画まではしてあるはずなのだがまだ画面までたどりつけないでいる。
画面の中でせめて自分の中では直接見てから、その後サイトやニュースなどで見聞できたらいいのだけどあいにく逆になってしまった。

見る前にとるよりは、とる前に見るがすき。
現場で、もしくはせめて映像で見たい。
選手にトラブル発生。でもうまく対処して立ち直る。追い上げる、追い上げる。苦しそうな表情、それなのに猛追。

決定的瞬間にカメラを向けるよりはむしろレンズをはずしてこの目で直に見たい。

そんなことを思いながらも先にニュースで川内選手のコメントを拝読させていただいた。

走者のみなさんの姿を見る前に読んだことをもとに孫引きみたいにこういうところに書くのはどうかと思うが、とにもかくにもその言葉に感動したので書いておこう。走るところはあいにくまだいささかも見ていないということだけは再度断っておく。

plus きょうの中1理科の質問から
光子 : 亜鉛に「うすい硫酸」を加えると水素が出るとありますが、この「うすい」にはなにか意味があるのですか?

h hikari : 意味は大アリだよ。濃度90%以上のものを濃硫酸というんだ。「濃いだけに」。市販のはネバネバの98%のものだから電離していない。そのままでは使わない。濃硫酸を水に薄めたものが希硫酸だよ。それを「うすい硫酸」と言っている。「うすい」だけに。








posted by 花波 ヒカリ at 05:54| Comment(0) | 133キロ怪速球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月07日

コーチ・えのもと(17)

365かける2といくらかの歳月をかけて毎日まいにちコーチえのもとがぼくらに教えたことはテニスであるとばかり当時は思い込んでいた。

ぼくの練習メニューの1つめだったスマッシュは250本が日課だった。1本でもネットにかけたり的から外したりしたら1本目から数え直しだった。

彼は打ち方についてしゃべりかけながらぼくらにたくさんすぶりをしてみせた。

スイングや身体の動きに関してはゴルフと野球と卓球の話が多かった。
テニスもゴルフも野球も同じこと、というのが彼の持論だった。

クラブとバットとラケットで身体の使い方が同じだという彼の理論が正直なところ、ヴォクは今でもよくわかっていない。


彼はぼくらにてっきりテニスを教えてくれているのだとばかり思ってた。
でも違った。

いまになって思えばそんな技術的なものではなかった。すぶりにごまかされていた。

実際彼が球出し以外ではラケットをもつことはなかったし彼はテニス初心者でフラットにラケットを持つことすらしていなかった。カットボールしか受けた記憶がない。

彼のベンチにはテニスの本が置かれていて、彼が折り目をつけたドッグイヤーのページを開いて確認するシーンを目にすることは少なくなかった。

彼は一日の終わりにはいつも筋肉痛だったんじゃないか。
あんな下手くそな手打ちで何百球千球も球出しのため打っていたら肘も肩もがいたくなったに違いない。そのそぶりすら見せなかったけれど。


彼はぼくらにいったい何をしたかったのだろう。
その問いがいつものように気になって仕方がない。


耳にタコができるくらい聞かされた「30になったらわかるからやれ!」の言葉を信じやったが、わかるまでに15年も必要なかった。

18歳になるまでにはそれはもうぼくらの信念になっていたんだ。

成し遂げるための方法がそのことを除いて他になにひとつないということは、もはや疑いようのないくらいにまでしみついていた。

コーチえのもとはぼくらにテニスを教えてくれた(ように見えていた)。
そしてすべてを教えてくれた。
ついでに少しだけ筋骨たくましくもしてくれた。

コーチえのもとは、ひとつの物事に打ち込むことをぼくらに教えてくれたんだ。
ボールの打ち方なんてもんでなく。

夏休みになると練習はいよいよ本格化した。練習スケジュール表などというものはない。休みという文字はコーチえのもとの辞書に存在しなかった。

雨のたまる日以外は朝6:00からボールが見えなくなるまで毎日外のコートで練習、大雨でコートに水たまりが多い日は自主練を体育館でやった。
夏が来るとまだ暗い空の下、自転車をこぐ田んぼのあぜ道の記憶があの草の匂いとともによみがえる。

帰りはもっとまっくらでハンドルが曲がってライトをうまくさせずよく田んぼに落ちた。足ががくがくで自転車をこぐ力も弱々しい。

ほっとするのは12:00から13:00の休憩のときだけだった。
喉がかわきすぎておにぎりひとつ食べるのがやっとで繰り返し繰り返しポカリスウェットを飲んだ。
そして階段の陰で空を見上げた格好のまま目を閉じてとにかく休んだ。
もうこのままずっと休憩だったらいいのにと思っても13:00になると集合〜〜〜の声をかけねばならなかった。

コーチえのもとがぼくらに挑んだ闘いは夏の猛練習だった。

一日経つごとにぼくらはたしかにうまくなった。

あのときだ。練習すればするだけ絶対にうまくなるということに気がついたのは。

家に帰りつくと地下から出る水のシャワーを頭にかけた。
まるでスイカを冷やすみたいに長い時間水のシャワーをかけた。

夏休みに、部員の全員がテニスのフォームが同じようになり程度の差はあれみなうまくなった。
程度の差はあれみな真っ黒の肌になった。

夏の試合でも、日により焼けているチームが勝った。
あれだけ練習して負ける方がおかしいと誰もが気合でボールを打った。

負けるわけがなかった。
posted by 花波 ヒカリ at 07:55| コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月06日

お問い合わせ窓口に関して

お問い合わせしたのに返信がない、予約したのに返事がなかったなどのご連絡をこれまで何回かいただいたので原因を考えてみました。
光塾の場合は、窓口が一箇所しかないのですが、よそ様に間違えて差し出したということも考えられます。

上尾市の光塾の問い合わせ先は hikarijyuku.jp というホームページ内にあります。いまこの記事のあるブログ「足音」のリンク集の、一番上段にあるホームページがそれです。
他のところで資料請求や予約をしても光塾からの返信がないのは宛先が違うからと思われます。

宛先が正しくない場合にはお問い合わせやご予約自体が無効となります。光塾の場合には受付し返信する際に【番号】を発行しております。この【番号】は確認のために必要となります。

以上、ご連絡いたします。

光塾


posted by 花波 ヒカリ at 05:55| Comment(0) | ヒカリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする